[インタビュー]
東京海上日動がサービスサイエンスに取り組んだ理由─東京海上日動システムズ社長 横塚裕志氏に聞く
2012年10月17日(水)IT Leaders編集部
保険商品やサービスのあり方を検証し、商品構成や業務プロセスを抜本改革する──。いち早くサービスサイエンスに取り組んできたのが東京海上日動火災保険だ。何がきっかけで、どんなアプローチで取り組んできたのか、そしてITの果たした役割は何か?東京海上日動システムズの横塚裕志社長に聞く(文中敬称略)。聞き手:本誌編集長 田口 潤、Photo:的野 弘路
- 横塚裕志氏
- 東京海上日動システムズ 社長
- 1973年に東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)入社。情報システム部長や執行役員IT企画部長などを経て、2007年に常務取締役に就任。2009年6月に退任後、2006年から兼務していた東京海上日動システムズの社長に専念している
─顧客にとっての価値を起点にサービスを科学し、何かを抜本的に変えるのは「言うは易く、行うは難し」です。ところが東京海上日動火災保険は、そうしたサービスサイエンスの考え方に基づいて保険商品や業務を改革したそうですね。
横塚:2003年から5年かけて実施した「抜本改革」のことですね。まず申し上げておくと、特にサービスサイエンスの考え方を意識していたわけではありません。2003年当時、その言葉自体がありませんでしたから。私がこのプロジェクトで着目したのは、ビジネスプロセスです。「ビジネスプロセスをどう設計するかは、顧客起点のサービスを提供し、仕事の品質を向上させるための基本中の基本である」。こんな思いが根底にありました。今振り返るとサービスサイエンスの取り組みそのものだと思いますけど。
─実際に何をしたのか、お話いただけますか。
横塚:まず、商品のシンプル化です。具体的には保険商品につく特約(オプション)を減らしました。改革前、特約の数は150を超えていたんですよ。商品の開発者は売れる特約を作れば評価されるし、代理店は売り上げを増やせるといった理由からですが、これくらいになると担当者が覚え切れません。事務作業も複雑になって代理店や営業所の現場で仕事が停滞するし、入力ミスも増える。当然、システムも複雑になって、にっちもさっちもいかなくなっていました。
─2000年代半ばに、特約にかかわる保険金の不払いが大きな問題になりました。これにはそういう背景があったんですね。
横塚:ええ。そこで一定程度のスピードや正確性を維持できる数まで減らすことにしました。
─しかし特約の種類を減らすのと顧客ニーズに応えるのは、矛盾しませんか。
横塚:確かに「顧客のため」は、ともすると「あらゆる要望を満たす」ことにつながります。でもそれは本当に正しいんでしょうか。3000万人の顧客全員に満足してもらおうとした結果が150の特約です。事実、そのことがかえって顧客にとっての価値を損ねてしまいました。
─具体的に問題を挙げていただくと?
横塚:顧客窓口に寄せられたクレームを分析したところ、その92%が「営業担当者が約束通り来なかった」「更新間近なのに、連絡がない」「事故対応の状況を知らせてくれない」といった、代理店業務のスピードや正確性に関するものだったんです。
─顧客は業務品質の高さを望んでいた?
横塚:そういうことです。このため抜本改革では商品のシンプル化とともに、代理店の仕事そのものにメスを入れました。「損害保険を提案・販売する」「更新手続きをする」といった業務を細かいプロセス単位に分解し、標準のビジネスプロセスを組み立てたんですよ。
─商品をシンプルにすれば、代理店や営業所の仕事がスムーズになるわけではないと。
横塚:保険契約の更新業務を例に取りましょう。従来は「更新時期が近づいたら訪問しなさい」と指示するだけでした。これでは代理店の担当者は、具体的に何をすればよいか分かりません。自分で動く担当者もいれば、「がんばります」だけで終わる担当者もいる。業務品質にばらつきが生じるわけです。そこで「2カ月後に更新を迎える契約リストを作る」「2週間でリストをチェックしながら契約者にアポイントをとる」「1カ月半前から訪問を開始する」「1カ月前にリスト上の全契約について更新手続きを済ませる」といった具合に、代理店業務をブレークダウンした。一定水準の業務品質を担保できるようなプロセスを決めたんです。
─代理店業務を効率化・合理化するのが目的ではない?
横塚:それは自社の生産性をどう向上させるかという提供側の視点ですよね。そうではなく、顧客に対してどう価値を提供するか、そのためにどんなプロセスを踏むべきか。これが我々の問題意識でした。
─当時、横塚さんは東京海上日動火災保険のIT企画部長でしたよね。ITの役割は?
横塚:こういう改革をするには業務を横断的に見ることが不可欠です。ITを担う我々なら、それがやりやすい。同時に、プロセスを設計しても「こういう段取りで」と言うだけでは定着しません。ITにそのプロセスを組み込み、プロセスを踏まないと業務が進まないようにする必要もあります。そうすることによって初めて、そのプロセスが根付きますから。保険料の収受のキャッシュレス化や代理店と当社の間の紙のやりとりをなくすこともしましたから、IT改革も必要でした。基幹系の全面再構築も含めてね。
─顧客が得る価値は何か、それをどうを届けるかという観点で、商品や代理店業務を科学的に見直したのが抜本改革ということですか。
横塚:ええ。不勉強かも知れませんが、サービスサイエンスという言葉を知ったのは2009年でした。話を聞いてみると、顧客満足をいかに得るかという軸で、ビジネスプロセスを科学的に組み立てようというアプローチ。「私が考えてきたことと同じじゃないか」と思いましたよ。
製造品質では顧客をつかめない
自社サービスの本質を見極めよ
─ここで話を少し変えます。日本の家電業界がグローバルで苦戦し、デジタル機器でも存在感を示せていません。サービス化への対応の弱さが原因の1つだという見方がありますが、どうお考えですか。
横塚:おっしゃる通り、ものづくりに重きを置くビジネスには限界が訪れていると思います。よい性能の製品を作っても想定通りに売れない。なぜなら顧客がほしいと思わないから。小型音楽プレーヤーが分かりやすいですね。音質ではiPodよりも、国産の携帯プレーヤーのほうが優れているかも知れない。けれどiPodには、好きな音楽を1曲ずつダウンロードして楽しめるiTunesという仕掛けがある。利用者が価値を感じているのは、この仕掛けです。
─性能だけでは利用者は価値を感じなくなってしまった?
横塚:そう。ハードの性能は、音質を追求する一部マニアには受けるでしょうけれど、多くの人は小型音楽プレーヤーにそこまで望まない。製造品質はある一定水準をクリアしていればよい。もちろん品質が悪いものや価格が高すぎるものは論外ですが、グッドイナフであればパーフェクトである必要はないんです。それよりも何を提供するか、お客さんが価値を感じるものをどうやってサービスと一体化して製品に組み込めるかが大事になっています。売れる製品は、顧客起点でなければ生まれません。欧米や韓国、もちろん日本でも、先端企業はみな顧客起点でビジネスを設計することで快進撃を続けています。
─コマツのGPS機能や故障検知機能付きの建設機械なども、価値が分かりやすいと感じるサービス一体型の製品の好例ですし、例えば野菜など食品のトレーサビリティもその1つですよね。今後、あらゆる商品や製品に同様の発想が求められると思いますし、とすればITやIT部門の果たす役割が大きくなるというのがこの特集のきっかけでもあります。
しかし一方で素朴な疑問があります。保険にしろ、流通や交通にしろ、日本企業が提供するサービスの質は海外に比べてクオリティが高いように思います。これはどう生かせるのか、逆になぜ現時点では世界で通用していないように見えるのかという点です。例えば空港で荷物を紛失したとき、日本だったら職員が「すぐ調べます」と走り回ってくれる。海外だと「あっちの担当部署に届けを出してください。そのうち出てきますから」みたいな感じです。
横塚:でも、実際に荷物は間違いなく出てくるでしょう?そういうサービス設計なんですよ。そしてそのほうが、全体としての合理性は高い。航空会社の顧客にとっての本質的な価値は、職員が自分のために走り回ってくれることではなく、荷物を確実に取り戻せる信頼性ですから。
─では保険業界の、いわゆる“サービス”はどうですか。「ちょっと相談がある」と言えば駆けつけてくれるし、誕生日にはカード、バレンタインデーにはチョコを持ってきてくれるなど非常に手厚い。
横塚:確かにそうです。でもそれは代理店の営業担当者が工夫して実践する行動であって、その質は個人に依存します。顧客はそういうサービスに期待して契約したわけではない。言葉は同じ「サービス」でも、商品や製品の一部として顧客価値に直結する類のサービスではないですよね?むしろ担当者が自分の仕事をしやすくするための行動ととらえたほうがいいかもしれない。先ほど申し上げたことと重なりますが、顧客はおまけとしてのサービスではなく、業務のスピードと正確性というサービスに保険会社の価値を見出しているんです。
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