米国のSaaS(Software as a Service)ベンダーの多くはスタートアップの時期を過ぎ、既にビジネスを軌道に乗せ始めている。この市場の成長性に目を付け、様々なSaaSイネーブラー(実現支援者)が台頭し始めた。Part5では、米国SaaS最新動向として、そうしたベンダーの最近の動きをとらえるとともに、今後の方向性に言及する。
SaaSの分野で先行する米国、とりわけシリコンバレーでは、ここ数年でSaaSベンダーが急増し、にぎわいを見せている。シリコンバレーを拠点にITビジネスのコンサルティングなどを手がけてきた筆者の知見から、最新動向をまとめてみよう。
まずは1つのユーザー事例を紹介したい。シリコンバレーに本拠を置くソフトウェア会社のI社(従業員350人)は2007年、今後の情報システムにオープンソースとSaaSだけを使うという戦略を打ち立てて耳目を集めた。それ以降、順次SaaSを採用し、現在は同社の業務の95%をSaaSで処理している。
具体的なSaaSベンダー名を挙げるなら、経理はADP、ERP(統合業務管理)はIntacct、CRM(顧客関係管理)はSalesforce.com、営業担当者のインセンティブ管理にはXactlyといった具合だ。さらに、これら複数のSaaSは、BoomiのOn Demand という、これまたSaaSを使って連携させている。今後は、PSA(プロフェッショナルサービスオートメーション)やマーケティングについてもSaaSを利用する計画だ。
市場の成長性に目を付け様々なプレーヤーが台頭
こうした企業が登場し始めたのは、本格的に使えるSaaSのバリエーションが充実してきたからに他ならない。事実、米国市場には、経理・給与処理やERP、人事管理といった基幹業務システムの他、CRMやBI(ビジネスインテリジェンス)、コラボレーション、さらにはサーバーやネットワークの性能測定・分析、セキュリティなど多種多様なSaaSが既に投入されている。
ベンチャーキャピタルからSaaSのスタートアップ企業への初期投資はほぼ落ち着きを見せ、過去2年間は既に軌道に乗り始めたSaaS関連企業への第2次以降の投資に向けられた。例えばAdaptive Planning、CollabNet、Intacct、Xactlyなどの各社は第3次の投資としてそれぞれ1000万〜3000万ドルを獲得している。
活況を呈するSaaS市場のプレーヤーを眺めてみると、提供する機能は様々だが、大きく言って「SaaS専業ベンダー」「企業アプリケーションベンダー」「SaaS ISV」の3つに分類できる(表5-1)。それぞれの「立ち位置」を整理しよう。
業態 | ベンダー | サービス内容 |
---|---|---|
SaaS専業ベンダー | LucidEra | ビジネスインテリジェンス |
NetSuite | ERP、CRM、EC | |
Right Now | CRM | |
Salesforce.com | CRM | |
Workday | 人事管理 | |
企業アプリケーション・ベンダー | Microsoft | CRM |
Oracle | CRM | |
SAP | ERP | |
ISV | Business Objects | ビジネスインテリジェンス |
Intuit | 経理、税務 | |
Kana Software | カスタマーサービスのEメール管理 | |
Socialtext | 企業向けソーシャルネットワーキング | |
Ultimate Software | 人事管理 |
SaaS専業ベンダー
SaaS専業ベンダーは、SaaSを提供するために生まれたベンチャー企業である。RightNow TechnologiesやNet Suite、Salesforce.comなどがその代表例だ。これらの企業の多くは既にIPO(株式公開)を成し遂げており、SaaS業界のリーダー的存在となっている。
企業アプリケーションベンダー
かつてはSaaSを疑問視していた大手アプリケーションベンダーも、SaaS市場に触手を伸ばし始めた。Oracleは2006年1月に買収したSiebel SystemsのCRMアプリケーションを「CRM On Demand」として提供。Microsoftは07年から、「Dynamics CRM Live」を提供し始めた。SAPは時代の変化を察知して06年にmySAP CRMのオンデマンド版である「CRM On-Demand」を発表したものの、期待通りの需要にはつながらなかった。そこで、中小企業向けのオンデマンド型ERPを新規に開発して、07年に「Business ByDesign」として市場に打って出た。
ISV(独立系ソフトウェアベンダー)
これまでパッケージソフトを販売してきたISVにとって、同等の機能をインターネット越しにより安価で提供するSaaSの登場は脅威に映る。しかしその一方で、他に先んじて自社製品をSaaSで提供すれば、ユーザー層を拡大する好機となる。ISVは慎重かつ、迅速にSaaSの波に乗ろうとしている。従来型のパッケージ販売を続けながらも、SaaSによるサービスを始めるベンダーが増えている。
サービス持ち寄りSaaSエコシステムを形成
いかに優れたSaaSベンダーと言えども、何から何まで自前でできるわけではない。そこで、SaaSベンダーの周辺にはSaaSイネーブラー(実現支援者)が続々と生まれているのが米国市場の特徴的な動きだ。SaaSのアプリケーションを開発し、実行・運用するためのツールや環境を提供するベンダーである(表5-2)。次に具体例を示そう。
サービス内容 | 提供ベンダー |
---|---|
データセンター | MARSYS NaviSite OpSource SAVVIS Tier 3 |
SaaSへの移行サポート | Jamcracker Momentum Design Lab Progress Software Trigent Wrapped Apps |
課金 | Aria Systems eVapt RevX Systems Vindicia Zuora |
コンサルティング、トレーニング | Appirio Astadia Bluewolf CRM Advantage CRM Manager Demand Solutions Group |
SaaS VAR | 多数あり |
SaaSデータセンター
データセンターを所有しているSaaSベンダーはごく少数派だ。多くは、データセンターを専業とする会社にサーバー運用を任せている。MARSYS、NaviSite、SAVVIS、Tier 3など既存のデータセンター業者は好機到来とばかりに、SaaSを支援するデータセンターとして名乗りを上げている。また、SaaS専門のデータセンターであるOpSourceは、2002年に設立されたベンチャー企業として知られている。
SaaSへの変換サポート
オンプレミス型のパッケージソフトを持っているISVは、それをSaaS用に変換する必要がある。そのためのツールや変換サービスを提供しているソフトウェアベンダーが登場し始めた。
SaaS課金サービス
SaaSベンダーに代わって、ユーザーへの使用料の課金サービスを提供するイネーブラーも多い。ユーザーの使用量を測定し、料金表に照らし合わせてユーザー宛てに請求書を発行するサービスである。
コンサルティング/トレーニング
ユーザー向けに、SaaSに関する技術的なコンサルティングサービスを提供する会社が増えているのも近年の動きだ。例えば、05年設立のDemand Solutions Groupは、NetSuiteやSalesforce.com、Intacct、Adaptive Planningなどが提供するSaaSについてコンサルティングを手がける。SaaSを採用する際、場合によってはユーザーの社内業務の処理手順を変える必要もある。そんな時にはビジネス変革を円滑に進めるために、ビジネスコンサルタントの活躍の場が出てくる。
SaaS VAR
SaaSは既製のアプリケーションとはいえ、カスタマイズやトレーニングなどが必要になる。それに、SaaSベンダーは提供するサービスに磨きをかけることこそが最重要であり、全国津々浦々まで営業して回るほどの余裕がないのが一般的だ。そこで、地域に密着してSaaSの再販からサポートを行うベンダー、すなわちSaaS VAR(付加価値リセラー)の活躍が期待されている。
実際、SaaSベンダーは販売パートナーを獲得するために多額の投資をしている。前ページの図5-1は、SaaS専業ベンダー3社の売り上げに占めるマーケティング・販売費用の比率である。各社の売上の絶対値は異なるが(図5-2)、Microsoftと比較してその比率が非常に大きいことが分かるだろう。こうしたマーケティングや販売費用は主に、販売パートナーの開拓や獲得に使われる。
このように、米国ではSaaSを円滑に提供するために様々なサービス会社が集まって1つのチームを形成している。これは従来、大手ITベンダーが形成してきたビジネスパートナー制度を越えるものだ。例えば、SaaS向けデータセンターを運用するOpSourceは、アプリケーションの導入や実行、監視・管理、課金サービスを提供するベンダー各社とパートナー関係を構築(図5-3)。同社のデータセンターを利用するSaaSベンダーが円滑にサービスを提供できるように支援している。このようなパートナー関係を、相互依存の生態系になぞらえて「SaaSエコシステム」と呼ぶ。
高可用性でユーザーにアピール、下回った場合は割り引きも
こうした提供側の動きの一方で、SaaSを利用するユーザーにとって最大の関心事は、サービスが滞りなく提供され続けるかどうかである。そのための指針となるのがサービスレベル契約(SLA)だ。
米国では2007年に、ソフトウェア情報産業協会(SIIA)がSaaSにおけるSLAのガイドラインを発表した。このガイドラインでは、サービスの可用性に応じた返金率(クレジット)の参考値を示している(表5-3)。例えば、1カ月の可用性が99.0%の場合は月額使用料の2%を割り引くという指針である。
可用性 | 月間ダウンタイム | クレジット |
---|---|---|
100% | 5分以内 | 0% |
99.9〜99.99% | 5〜43分 | 1% |
99.0〜99.9% | 43〜432分 | 2% |
98.0〜98.9% | 432〜864分 | 3% |
97.0〜97.9% | 864〜1296分 | 5% |
95.0〜96.9% | 1296〜2160分 | 10% |
90.0〜95.0% | 2160〜4320分 | 15% |
90.0%未満 | 4320分超 | 33% |
SaaSベンダーも、自ら厳しいクレジットを課して高信頼性をアピールしている(表5-4)。とはいえ、100%の可用性を達成するのは神業に近い。例えば、Salesforce.comのサービスは05年末から06年初め、2回にわたって数時間停止した。Amazon.comのWebサービス(S3、EC2)も07〜08年、障害により何度かサービスを停止している。
ベンダー名 | 可用性のサービスレベル | SLAクレジット |
---|---|---|
Amazon.com | S3: 99.9% | 99%≦可用性<99.9%…当月使用料を10%割り引く 可用性<99%…当月使用料を25%割り引く |
EC2:99.95% | 当月使用量を10%割り引く | |
Adaptive Planning | 99.5% | 当月使用料を無料にする |
Intacct | 99.8% | 1%下回るごとに当月利用料を10%割り引く |
NetSuite | 99.5% | 当月使用料を無料にする |
SaaSベンダーにとってもう1つ重要なことは、各種のコンプライアンスに準拠することである。企業のビジネスプロセスを電子的に処理する場合、SOX法をはじめ様々なコンプライアンスに準拠しなければならない。先進SaaSベンダーは、内部統制の運用に関する認証制度であるSAS 70タイプIIや、セキュリティの世界標準規格であるISO 27001に準拠している。
SaaS間連携も実現、使った分だけ払う世界へ
ユーザーのニーズに呼応しながら発展を続けるSaaSは、この先どう進化するのか。今一度、その短い歴史を振り返りながら考えを巡らせてみよう(表5-5)。
第1世代 SaaS 1.0 |
〜2006年 | スタンドアロン 中小企業に普及 |
---|---|---|
第2世代 SaaS 2.0 |
2007〜2010年 | 大手企業に普及 既存アプリケーションとの相互運用性 垂直アプリケーションSaaS SaaS間の相互運用性 |
第3世代 | 2011年〜 | 企業間SaaS ユーティリティ料金 新しいビジネスサービス |
第1世代:かつてオンプレミスの高価なアプリケーションパッケージは、中小企業にとっては高嶺の花だった。ところがSaaSは大規模な初期投資が不要である上に、月々の安い支払いで使えるとあって、中小企業へ普及した。これがSaaSの幕開けだった。
第2世代:人呼んでSaaS2.0。07年ごろから、Cisco Systems、DELL、Merrill Lynchといった大手企業がCRMなどの領域でSaaSを使い始めた。オンプレミスのシステムは使いにくく運用・保守費用がかさむことから、思い切ってSaaSに切り替えたのである。既存アプリケーションとの相互運用を可能とするサービスが登場したことも移行を後押しした。
第3世代:そしてこれからである。現在、SaaSの利用料金はユーザー1人当たりの月額固定料金が基本だ。課金サービスがさらに進化する近い将来には、アプリケーションの実行に費やしたCPU時間や処理したトランザクション数に応じたきめの細かい課金方式になると思われる。すなわち、電気や水道といったユーティリティ(公共サービス)のように、「使った分だけ払う」時代がすぐそこに来ている。
山谷 正己
米Just Skill 社長/名桜大学客員教授