[技術解説]

「IBM Watson」、ビッグデータの延長上で応用段階に

2013年にはパッケージ製品、クラウド・サービスを提供へ

2012年10月22日(月)田口 潤(IT Leaders編集部)

「これまでのコンピューティングには2つの時代(Era)があった。1つは19世紀後半から1950年代までの自動計算機(タビュレータ)、機械式の集計機や手回し計算機の時代だ。もう1つがその後から今日に至る、プログラム可能なコンピュータの時代。大型コンピュータとスマートフォンは違うものに見えるが、極論すればサイズが小さく、使い勝手が向上しただけの違いでしかない。そして今、コンピューティングは第3の、新しい時代(Era)に入った。システム自体が学習する”コグニティブコンピューティング”の時代だ。これは(社会や企業に)、非常に大きなインパクトをもたらす」(米IBMのバージニア・ロメッティCEO)。

Watson事業の責任者に聞く─「世界中から数百件の研究依頼が来ている」

 説明会の後、Watson事業の責任者にManoj Saxenaジェネラルマネジャー氏に個別インタビューする機会があった。同氏は「IBMだからこそWatsonを開発できた」、「1分野1社に絞って応用開発を進めている」、「2013年にはコールセンター向けのパッケージ製品、クラウドサービスを提供する計画だ」などと語った。

Q IBMがWatsonのような学習するシステムで先行した理由は?

A Watsonは高性能のプロセサ、ストレージ、インターコネクトなどハードウェアから、各種のミドルウェア、オントロジーなどの言語理解や機械学習の理論と技術、データの統計や解析技術、あるいは医療や金融など特定分野の知見・知識まで、合計41の技術要素から成り立っている。

 これらを集大成して学習するマシンを開発するには意欲も体制、資金力も必要だ。例えばこれまでに60億ドルをWatsonの開発に投資してきた。研究部門であるIBMリサーチには多くの数学者や科学者が在籍している。これだけのものを1社でそろえられるのはIBMだけだ、こうしたことのすべてがWatsonにつながっている。。

Q 1990年代に米国では常識を基に推論するマシン、「Cyc」を開発する試みがあった。どんなことにも答えを出せる、人工知能(AI)を目指したものだった。Watsonは、それと同じ方向性を持っているのか?

A 答えはNoだ。よく「人間にたとえると何歳」と聞かれることがあるが、答えは「ベイビー」でしかない。例えば医療の特定分野の知識では、医系の学生の1年生相当の知識を備えるが、人が持つ常識はゼロだ(笑)。なぜならWatsonはシンキングマシン(思考する機械)ではなく、リーズニング(推論)とラーニング(学習)を行う、コグニティブ・システムだからだ。さらに言い換えると、高度な専門家の意思決定を支援するシステムである。Watsonはドメイン特有の情報や知識を備え、専門家に複数の選択肢を提示する。決定するのは人間だ。

Q 意思決定支援というとBI、文書情報なら全文検索がある。かつてのAIも含め、Watsonとの違いは?

A 本質的に違う。BIやテキストはデータを基本にするデータベース。Cycなどかつての人工知能はナレッジ(知識)ベース。Watsonはインフォメーションベースだ。少し詳しく言うと、ナレッジベースは、専門家の知識や知見、判断基準などが蓄積する情報の中核である。比較的少ない情報で何らかの意思決定を支援しようとすると、そうなる。Watsonの、インフォメーションベースは大量の情報を蓄積し、推論に使う。

Q なるほど。「専門家の知見を元に推論するとこうなる」ではなく、「大量の実データや統計データ、論文などから計算していく」アプローチだと。

A そうだ。だから、エビデンスを示すことができ、利用者はWatsonを安心して使える。

Q 現在、どんな産業や領域に適用しつつあるのか。

A 世界各国の企業や政府機関から、数100件に及ぶ共同研究や開発の依頼が来ている。日本からもNTTやソフトバンク、大手電機メーカーから申し入れがあるし、中東やロシアの機関からも依頼がある。しかしリソースには限りがあるため、社会的に優先度の高い領域で、しかも1つのインダストリで1つの企業/機関に絞るのが基本方針にしている。すでに研究開発を実践しているのは医療や金融(保険)、通信の分野である。

Q 米軍なども含まれる?

A ノーコメントだ(笑)。

Q 収益化はどうするのか。例えばWatsonを開発ツールとして広く提供する考えは?

A Watsonの事業モデルはハイバリューと、ハイボリュームの2通りがある。前者は医療や金融など特定の産業、分野における応用。システム規模は大きく、関わる研究者も多くなる。現在、進めているのはこちらの方だ。後者は、何らかのソリューションをパッケージ化して多くに販売するもので、2013年にコールセンター向けのシステムを提供する計画だ(写真4)。様々な問い合わせを受け、適切な回答の選択肢を提示する。「質問がこれなら、回答はこれ」と決まり切った形ではなく、また検索エンジンのように曖昧さや選択肢が膨大になる問題を解決できる。そのコールセンターに必要な知識を追加する必要はあるが、大きな問題ではないだろう。

2013年にコールセンター向けのシステムを提供する計画
写真4

 より広く使ってもらうために、開発プラットフォームとしてネット経由で提供することも計画中だ。そうすれば社員数人のベンチャーがWatsonを使って何らかの問題解決を支援するシステムを開発することが可能になる。IBMのみが答えを持っているわけではないので、広く使えるようにすることは大事だと考えている。

Q 今、Watsonは英語(米語)版しかない。他の言語向けを開発する考えは?

A その必要があることは間違いない。問題は、いつかだ。その条件は(1)英語版が市場で一定の成功を収めること、(2)新しい言語版へのニーズ、(3)収益が見込めること(市場の大きさ)の3つある。5年以内に英語以外の言語版を出せればいいと思うが、例えば日本の医師が英語でWatsonを使うこともあり得るだろう。だからハードルは低くない。回答のために参照する文献やデータが英語であるのは問題かも知れないが。

Q 医療でも金融でも法律でも、専門性が高くなればなるほど多くの情報を得、知識を獲得して、かつ総合的に判断する必要が高まる。この点でWatsonのようなシステムへの要求は、強まると考える。そこでWatsonは、多くの企業にとって簡単に使えるかを聞きたい。言い換えれば、企業は、Watsonのようなシステムを使うために、どんな準備を求められるか。

A その答えも3つある。一つはLOB(事業部門)の人たちに問題を定義、認識させること。これが出来ていれば、どんな情報や知識を集めて分析すべきかが決まるからだ。当たり前のようだが、簡単ではない。今までのやり方で70%うまくいっており、それが競争している他社も同じだとすれば、問題自体が認識されない。するとデータや情報が蓄積されない。

 2番目は、ビッグデータを処理でき、コンテンツを管理できる情報システムを有していること。最後は情報を大事にし、正確性を持って分析して、事業に生かそうとするスキルとカルチャーだ。結局のところ、賢い企業(スマーターエンタープライズ)と言うことになる。

Q Watsonはまだ発展途上のシステムだと思う。今後、力を入れる研究開発項目、言い換えればWatsonの課題は何か?

A 現在のWatsonは文字や数字しか扱えない。だから課題の一つはイメージやビデオを処理可能にすることだ。そうすれば、例えば撮影した画像から医療の診断や治療のアドバイスが可能になる。世界各国で医師がいない地域は多いから、優先度の高い課題だ。

 2番目は、学習能力の強化。新しい情報をWatsonに入力して活用可能にするために、現時点ではそれなりの時間を要している。先ほどの多言語対応も課題の一つだ。Watsonに使っている機械学習などの技術は、米語(英語)に特化している。

Q IBMの他の事業、例えばPure SystemsとWatsonとの関わりは?あるいはIBMにとってWatsonの存在価値はどんなものか?

A 非常に大きい。現在のWatsonは専用のハードを使っているが、将来は当然、PureData Systemsで動くようになる。となればPureData Systemsの顧客に貢献するし、その販売にも貢献する。

 一方で、先ほど数100件の共同研究の依頼があるとお話した。実は話を聞いてみると80%はWatsonは不要で、別のソリューションで解決できる。これがアナリティックスやビッグデータ関連のソフトウェア、ハードウェア、あるいはグローバルサービスの事業につながっている。実際、IBMは、ICPA(IBM Content and Predictive Analytics)と呼ぶサービスを提供している。Watosに使われている技術を生かして、企業が保有するコンテンツを解析するサービスだ。Watsonがなければ、こうした要求を発掘することさえ難しかっただろう。

 何よりもWatsonは、IBMの“カルチャー・オブ・イノベーション”を象徴する技術だ。このような技術、システムを有していることの意味は経済的なことも含めて非常に大きい。

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