[技術解説]
グランドデザインの本質とは─「シンプルであること」を価値観に、事業の個性に応えるシステム構造を描く
2011年10月11日(火)桑原 里恵(札幌スパークル システムコーディネーター)
クラウドやソーシャルといった新たな潮流が次々と押し寄せる中で、企業ITはどこへ向かうべきなのか。 指針の1つとして今、「アーキテクチャ論」が活発化している。 企業システムのグランドデザインに携わる桑原里恵氏にその意義や必然性を聞いた。
ここにきて企業ITの「アーキテクチャ論」が活発化している背景には、世界経済と社会の価値観が変わり、経営環境が大きく変動する中で、事業構造の見直しが加速していることがある。新興国を含む本来の意味でのグローバル化、企業の垣根を越えたコラボレーション、インターネットによるリアルタイムの情報共有など。時代の変化を捉え、次の10年に向けて事業の枠組そのものを変える取り組みが進む。
その前提にあるのは、「企業ITは事業基盤である」という共通認識である。事業とITの一体化が進めば、IT化の如何はそのまま事業競争力につながる。当然、ITにも事業と同じ経営の価値観が要求される。
スピード、費用、変化対応力。事業と同じ目標に向けて、同じ集中力でITとしての役割を果たす。海外展開も組織再編も、あるいは新しいタイプの商品やサービスも、常にITが取り組みの中枢に関わる。事業の足かせとなるのか、それとも変化を加速し、イノベーションを支える存在となるのか。企業ITの実行力が問われている。
一方で、企業ITを取り巻く技術的な環境は大きく進化している。クラウド、モバイル、ソーシャルメディア。所有から利用へとIT投資が変わり、世界の英知を時差なく利用できる環境が整う。多数の選択肢があり、様々な取り組みの形がある。同時に、データの爆発的な増加やサイバー攻撃、トレーサビリティなど新たな課題も浮上している。企業ITもまた、新しい枠組への変化の時を迎えている。
企業IT像の3つの変化
事業価値に向けて高度化するシステムと、経営の価値観から厳しくなるIT化の条件。この二律背反を解くために、今日の技術をどのように活かしていくのか。逆に、どういった構造によって二律背反を超え、継続的に技術の進化を取り込んでいくのか。
これがアーキテクチャ論の命題である。アーキテクチャとは、こうした命題を踏まえたシステム構造を描き、実現の解となる技術や方法論を特定した「グランドデザイン」だと考えることができる。中でも今、焦点となっているのは、システムと技術を結ぶ「基盤レイヤー」の構造である。それにはシステム像を巡る3つの変化が関わる。
まず、業務や商品/サービスとITが強く密着していること。販売や生産管理といった「個体システム」ではなく、顧客や事業視点の「プロセス」を基点にシステム像を描く。複数のシステムが、自社内やクラウドといった物理的な配置を超えて組み合わさって、ひとつのプロセスを実行する。しかも、IT化の対象は業務のフロントエンドへとどんどん拡大している。
事業と一体化し、顧客に近い業務ほど“個性”が強い。IT化の都合でいたずらに他社との共通性が高い業務に押さえ込むのではなく、むしろ、事業の強みに重点を置き、個性に応えるIT化の発想が求められる。その答えが、共通と固有を組み合わせる形式である。
次に「外部との関係性」を意識しなければならないこと。密接に連携するサプライチェーン、他社との共同プロジェクト、ソーシャルメディア、そして社会インフラ…。多様な組織とシステムが連なり、リアルタイムの情報共有とプロセスを形成する。企業活動がそうであるように、企業ITもまた、自社内に閉じるのではなく、「外に向かって開いたシステム」として、自律し、柔軟に連携する形が求められている。それにはシステム間の連動や共通仕様だけではなく、ネットワークに参加する者として果たすべきシステムの信頼性や機密性、統制の義務がある。
企業ITのスコープが変わってきたという点も見逃せない。これが第3の変化だ。企業ITの役割は人とのコラボレーションへと広がっている。同時に、商品やサービスにおけるIT化への広がりもある。人々が持ち歩くモバイル端末のみならず、自動車や家電、産業用の機器など様々なデバイスがネットワークとつながり、至るところから情報が発生する。企業活動自体がそうした環境の上にあり、さらに、それらの技術を事業の中に取り込んでいく。企業ITにはそうした基盤に適用し、継続的にサービスを提供し、膨大なデータを使いこなす構造が必要になる。
複雑限界の自覚から始まる
これらの3つの変化を踏まえ、企業ITをどう前進させるのか。ここで1つの難題に直面する。
事業の個性に応え、競争力となる高度なサービスを実現していくと、システムはどんどん複雑化していくという問題だ。しかも、複数のシステムを組み合わせることも、そこにクラウドや外部のサービスを利用することも、システム全体の複雑性につながる。
かといって、旧来のように要件を絞り込み、使用する技術を限ることで複雑性を排除することは、もはやできない。ネット上のサービスは次々と新しい機能を実装し、利便性を高め、ITの可能性を切り拓く。企業ITがその枠外であっていい訳はない。
企業ITは自然体で複雑化を増していく。無策では複雑化を止めることはできない。そして、複雑化は事業基盤としてもっとも重要な変化対応力を損なう。システムの複雑限界を意識し、全体をシンプルにする方策に技術を駆使し、知恵をこらさなければならない。
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