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[中島洋の特別対談]

BCPの国内拠点にとどまらず「アジアの玄関」となる沖縄県

2012年2月13日(月)IT Leaders編集部

日本の情報システム関係者にとって沖縄が注目の地域になって来た。大震災後、BCP(事業継続計画)の国内拠点として見直されているだけでなく、急速に発展するアジア経済圏への玄関口としての存在も重要になってきている。「マルチメディアアイランド」を標榜してITを観光に次ぐ第2の産業の主柱に育成してきた沖縄県の政策が実を結んで来たわけだが、その成功要因は何か。さらに次の一手をどうするのか。IT産業育成策の中心を担ってきた沖縄県庁商工労働部の小嶺淳・産業雇用統括監に聞いた。(文中敬称略)

今月のゲスト

佐小嶺淳氏
小嶺 淳 氏
沖縄県 商工労働部 産業雇用統括監
1980年3月、岡山大学卒業。同年5月に沖縄県庁に入庁。情報産業振興課長(2007年4月〜)、観光商工部参事(2009年4月〜)などの要職を歴任。2011年4月に商工労働部産業雇用統括監に就任し、現在に至る。ITを沖縄県の主要産業に育成すべく尽力している。自らAndroid向けのアプリを開発するスキルも併せ持つ

インタビュアー

佐々木節夫氏
中島 洋 氏
MM総研所長
1973年、日本経済新聞社入社。産業部で24年にわたり、ハイテク分野、総合商社、企業経営問題などを担当。1988年から編集委員。この間、日経マグロウヒル社に出向し、日経コンピュータ、日経パソコンの創刊に参加し1997 〜 2002年慶応義塾大学教授。現在、MM総研所長、国際大学教授、首都圏ソフトウェア協同組合理事長、全国ソフトウェア協同組合連合会会長等を兼務。

 

中島:沖縄県は98年にマルチメディアアイランド構想を発表してIT産業育成に乗り出したわけですが、積極的だったのは“内地”のIT企業の誘致でした。これまでの沖縄進出企業は数多いですね。

小嶺:2010年末で216社という統計が出ています。雇用では2万人以上を生み出している。さらに大震災後、30社以上が進出、または進出を表明しているので、240社、あるいは250社近くになっていると思います。

中島:各県とも企業誘致に熱心ですが、沖縄県はダントツの成果を挙げてきた。しかもIT産業に絞った進出企業数ですからね。どのような政策が奏功したのですか。

小嶺:税制優遇、雇用助成、通信費の補助などで進出企業に特典を提供しました。その効果もある程度はあったと思いますが、判断は難しいところです。たとえば、税制は所得控除35%、機械設備などの投資は法人税から15%まで控除できる。国内の実効税率が41%なのに対して沖縄の実効税率は27%で国内との比較では確かに有利なのですが、海外、たとえばシンガポールの実効税率17%などと比べると見劣りします。

進出企業への特典が奏功

中島:通信回線費用の補助は随分、効果があったと聞きます。コールセンターの進出が多い理由でしょう。

小嶺:沖縄への企業誘致では首都圏や近畿圏から遠いので、生活費が安いこと、それを反映して人件費が首都圏の7割くらいと安いのが魅力でした。しかし、遠いということが逆に通信費を高くしていた。そこで、通信回線を県の方で借り上げて、それを一定期間は無料で使用してもらえる支援策を講じたんです。これは形を変えて現在でも半額程度を支援しています。ただし、通信経費そのものは、この10年間で随分下がっているので、それがすべてではありませんが。

中島:税制や通信経費の助成で有利な面はあるが、企業が沖縄に進出する動機としては決定打ではない。ただ、人件費が安い、別の表現をすると、東京と同じ給料で優秀な人材が雇用できるということは、かなり魅力的でしたね。それと花粉症がない、原発がない、というのも素晴らしい。転勤してくる従業員には、温暖で観光の材料には事欠かない。

DR拠点としての魅力

小嶺:企業としては、雇用した従業員への業務習得の期間には助成金もあります。雇用助成が企業には魅力だったようです。コールセンターやソフトウェア開発の分野では有効だった。それに遠隔地であるということで、首都圏や近畿圏と大地震などで同時被災しない、という特色から、DR(ディザスタリカバリ)の拠点として、データセンターの分野で注目された。米国の9.11同時多発テロ、福岡西方沖地震などの災害の後にバックアップ用のデータセンターを沖縄に設置する動きが活発になりました。

中島:今回の東日本大震災の後もデータセンターの移転の打診が殺到したようですね。

小嶺:地元のデータセンターはバックアップ用の問い合わせも多く、能力いっぱいになりそうなデータセンターもあるようです。この勢いを見ると、今後、さらに沖縄にバックアップ拠点を開設する企業は増大します。

中島:最近はBCPと呼んでいますが、遠隔地であることが有利な条件になる、というのは価値の逆転ですね。

小嶺:さらにアジア経済の急成長とともに、アジアへの玄関口としての価値が高まってきました。沖縄はご存じのように150年前までは琉球王国として独立国でした。中国、朝鮮、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンなどを貿易船によって結ぶ中継貿易の国だった。「万国津梁(しんりょう)」、つまり世界を結ぶ大きな架け橋のような存在だというのを国是にしていた。3年前にオープンした情報産業の集積パークは「IT津梁パーク」と名付けて、情報分野の世界、といってもアジアですが、その架け橋の役割を果たそうと宣言しています。

中島:アジアへの玄関口として沖縄の価値が見直されてきた。雇用8000人を目指す計画でしたが現状はいかがですか。

小嶺:オープンしたのがリーマンショックの直後で、急速に投資が冷え込んだ時期と重なった。進出を計画していた企業がほとんど計画凍結になって、初期は苦戦しましたが、2011年に入ってソフト開発拠点、eラーニングのオペレーションセンター、コールセンター、アンドロイドのテストセンターなどさまざまなIT分野の企業が続々と進出し始めています。豊富な労働力や助成などの有利な条件を利用する、というだけでなく、アジアをにらんだ最前線の情報拠点としての認識も深まってきた、と思います。

人材教育などにも工夫を凝らす

中島:沖縄全体で、アジアをにらむ具体的な事例はありますか?

小嶺:欧米を拠点にしたクレジットカードの決済処理の会社のアジアデータセンターが3年ほど前に設置されました。地勢的にアジアの中心に近く、有利だということですね。インドの大手情報サービス会社のBPOセンターも設置されています。大手エレクトロニクス会社の国際的物流ネットワークのオペレーションセンターも増強されています。

中島:ただ、アジアの情報拠点としての機能を強化するには通信ネットワークの整備が必要ですね。

小嶺:沖縄県としては2つの方向を考えています。1つはさらに多くのデータセンターが進出して来やすいように、利用しやすい環境を整備する「クラウドパーク」を準備すること。2つめは、沖縄からアジアに高速インターネットを直結させる「沖縄GIX」を強化することです。沖縄GIXはすでに沖縄香港を直結した回線を構築しましたが、多くの企業が安く、効果的に利用できるように増強して行かなければなりません。

中島:最後に人材面ですが、沖縄には高級レベルの情報人材が必ずしも多いわけではありませんね。

小嶺:「情報大学院大学」の設置を検討しています。国立大学や県立大学、というのは自由が利きませんので、民間企業に任せた株式会社方式で、国際的視野を盛り込んだものにしようと検討しています。教員も学生も半分は外国人で、授業はすべて英語。企業との共同開発も自由に行い、教員も学生も時間を工夫して近隣の企業に従業することも奨励すれば、その人材を求めて、日本企業だけでなく、中国から、韓国から、インドから、台湾から、周辺に事業所を開設するでしょう。こういう環境の中で、地元の若者も刺激を受けて成長してゆくのではないか。

中島:情報大学院大学は新しい挑戦ですね。アジアに開いた大学院というのも成功すれば、日本のモデルの1つになるでしょうね。

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