マイクロサービス、RPA、デジタルツイン、AMP..。数え切れないほどの新しい思想やアーキテクチャ、技術等々に関するIT用語が、生まれては消え、またときに息を吹き返しています。メディア露出が増えれば何となくわかっているような気になって、でも実はモヤッとしていて、美味しそうな圏外なようなキーワードたちの数々を、「それってウチに影響あるんだっけ?」という視点で、分解していきたいと思います。今回は「ウェアラブルデバイス」を取り上げてみます。
技術的背景
前世代のウェアラブル端末と決定的に異なる技術的背景は、センサーの進化と通信環境です。生体情報なら心電、脈拍、血圧、脳波、眼球運動や経皮的動脈血酸素飽和度、皮膚の水分、行動情報なら圧力、加速、磁気、音声、位置や距離といったデータを検知するセンサーが使われます。こうしたセンサー技術の小型化、軽量化、省電力化が着用に負担をかけないデバイスを実現しました。前述の導電繊維やコンタクトレンズ型、電子入れ墨の開発もすでに進んでおり、さらに多様化が見込まれます。
かつての歩数計は端末の中にデータが閉じていましたが、低価格常時ネット接続がクラウド環境やスマートフォンとのデータ送受信を可能にしました。データの処理はアプリやサーバーに任せ、インプット/アウトプットに機能を集約することでデバイスの低価格化も期待できます。
【事例、動向】導入が進むエンタープライズ市場
ハンズフリーでのデータ入出力を可能にするとあって、エンタープライズ市場では運輸など現場の安全確保で導入が先行しています。眠気やストレス度合いを検知してタイムリーな注意喚起を行えば、事故を未然に防止でき、運転手本人の安心と運輸の正確さが向上します。心拍数などから作業員のヒヤリハット体験を可視化し、先回りの事故防止策を講じることも可能でしょう。眼鏡型デバイス上に音声やARで操作マニュアルを表示すれば、手を離すことなく作業に集中できます。
大成建設は東芝デジタルソリューションズと共同で入退場車両管理システム「T-Gate.Navi」を開発。眼鏡型デバイス搭載のカメラで音声指示により撮影した画像から、情景文字認識技術で認識した車両ナンバーと事前に登録された車両情報と照合し、照合結果をデバイスの視野上に表示します。音声・画像認識には東芝開発のAI「RECAIUSTM」を使用。視認・撮影からデータ化までハンズフリーで実行でき、従来紙台帳で行っていた入退場管理の手間が大幅に削減されたといいます。
ホワイトカラーの生産性向上
「作業」だけではありません。JINSが投入した「MEME」は、つると鼻パッドに搭載したセンサーで瞳の動きや瞬き、体の姿勢を計測し、集中度、活力や眠気をキャッチ。パフォーマンスの高い時間帯を可視化します。JINS MEMEを活用し集中度の高い時間に重要タスクをシフトしたビズリーチ社の実験では、1日8時間の労働時間における集中時間が、26人平均で15分(年間61時間に相当)増加したそうです。
社内実証実験に基づき、従業員の幸福度を可視化する「ハピネス計測」ソリューションを展開するのは、日立製作所です。名札型デバイスと赤外線ビーコンにより「誰と誰が、いつ何分会話したか」の対面履歴、「滞在、立ち止まり」などの行動、「会議室、テーブル、オフィス」などの場所を記録し、人工知能「Hitachi AI Technology/H」で分析。職場でのコミュニケーションや時間の使い方など、幸福感向上につながる行動への個別アドバイスを自動作成します。ユーザーはスマートフォンやタブレット端末から日々のアドバイスを確認し、職場での行動に活用することができます。
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Salesforce.comは2014年にウェアラブルデバイス対応PaaS「Salesforce Wear」を発表。Apple Watch、Google Glass、Android Wear、Samsung Gear 2、Myo、Nymi(Bionym)、Pebbleが参加しています。SAPも同年ウェアラブルデバイスに対応し、コニカミノルタジャパンの眼鏡型デバイス「ウェアラブルコミュニケーター」などが連携しています。スマートフォンやタブレットを操作しづらい作業現場だけでなく、例えば、CRM連携により音声で顧客情報を従業員に伝え、接客内容を録音、撮影し顧客データベースへ登録するといった応用が考えられます。接客時の感情や身体反応といった従業員の行動を記録・分析すれば、接客品質向上も期待できそうです。
McKinsey Global InstituteはIoTに関するレポートで、2025年における世界のウェアラブル技術の経済波及効果を、健康関連分野1,700億~15,900億ドル、職場の生産性向上分野1,500億~3,500億ドルと見積もっています。またSalesforceが行ったウェアラブル導入済または計画中の米国企業500社を対象にしたアンケート調査によると、86%に上る企業が投資増額を予定。職場の生産性可視化52%に次いで、顧客データへのリアルタイムアクセス49%、フィールドサービスでのハンズフリー指示48%といった分野で導入中または試行中と回答しており、顧客インターフェイス領域での活用が進むものと見られます。
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で、ウチに関係ある?
現時点ではライフログ計測(インプット)が主流のコンシューマー市場ですが、装着感の向上や低価格化が進めば、スマートフォンが担っている情報提供(アウトプット)機能のある程度の部分は、ウェアラブルデバイスへとシフトしそうです。「歩きスマホ」が撲滅される未来は、そう遠くないかもしれません。ライフログに対する反応だけでなく、人の視線や温度・湿度などの環境変化を検知して形状を変えるドレスや、ドローンの操作・撮影・リアルタイム投影に対応したスマートグラスなどがすでに開発されており、健康以外の分野でも活用が進むでしょう。
高齢化社会の課題解決につながる製品・サービスの開発には、ファスナーの閉め忘れを教えてくれるスマートパンツやおしゃれなヘアピン型補聴器といった、テクノロジーを意識させることなくユーザーの生活を便利にするアイディアが大いにヒントになりそうです。
従業員の幸せを基点に
職場への導入は運転、製造などの作業現場が先行していますが、ホワイトカラーへの適用も有益でしょう。ロンドン大学の調査では、ウェアラブルデバイス導入企業における従業員の8.5%が生産性向上、3.5%が仕事の満足度向上の効果があったと回答しています。 多くの企業でIDカード等によりすでに管理されている入退室やPC操作ログに加え、従業員のライフログが取得できれば、職場の安全・安心確保、従業員の健康や幸福推進、生産性向上といった効果が期待できそうです。
ウェアラブルデバイスならではの課題は装着感。ユーザーにストレスを与えないこと、慣れやすいことが重要です。例えば運転席であれば、ウェアラブルといいつつも、シートやシートベルトのセンサーを併用するべきかもしれません。デバイス装着への抵抗感は若年層ほど少ないといわれます。まずは若手グループでの実験を通して小さな成果をあげ、段階的な浸透を図るといった工夫も有効でしょう。
また当然のことながら、ごく個人的なデータを常態的に集めフィードバックを行う以上、セキュリティ対策には神経質にならざるを得ません。採用難でただでさえ多忙な人事部門に、人間工学、健康や生産性、IoT、プライバシーなど、これまで以上の幅広い知識が要求されます。
そして、マネジメントと従業員の間には、一層の透明な関係が求められます。入退室ログデータを管理しているのに紙ベースで実際よりも過小な残業時間を申告させるといったブラック企業は未だ散見されますが、ライフログという実データに基づく労務管理の世界では、こうした20世紀型運用との決別が絶対条件です。
パーソナルアシスタントしかり保険会社の割引制度しかり、何らかのインセンティブがあってこそ、ユーザーは自らのライフログを差し出します。職場においては「できない人を特定すること」ではなく、できない状況をいち早く見つけて「仲間やシステムが助けること」「より適した職場を提案すること」など、ユーザーの幸せを目的とし、あらかじめ充分に理解し合ったうえで導入を検討すべきでしょう。定量値に基づき、働き方改革で実際に取るべき施策は、案外情緒的かもしれません。
●筆者プロフィール
清水 響子(しみず きょうこ)
1968年生まれ。法政大学院イノベーション・マネジメント専攻MBA、WACA上級ウェブ解析士。CRMソフトのマーケティングや公共機関向けコンサルタント等を経て、現在は「データ流通市場の歩き方」やオープンデータ関連の活動を通じデータ流通の基盤整備、活性化を目指している
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