[ザ・プロジェクト]

銀行の勘定系にLinux採用、パッケージ活用し9カ月の超高速開発を実践─大和ネクスト銀行

2011年8月9日(火)IT Leaders編集部

銀行の勘定系といえば、高い信頼性を求められるシステムの代名詞。開発には長い期間をかけるのが当たり前だった。大和証券グループが設立した新銀行は、この常識を覆した。短期開発を成功させたのは、最新の開発ツールでも手法でもない。ユーザーとベンダーが同じ方向に向かって全力で走る信頼関係作りだった。聞き手は本誌編集長・田口 潤 Photo:的野 弘路

鈴木 孝一 氏
鈴木孝一氏
大和総研 専務取締役(システム部門特別担当)
1979年に大和証券に入社。1996年から大和総研において証券システム開発部長を務めた後、同社の証券グループシステム事業本部部長、大和証券のシステム企画部長といった要職を歴任。2008年、大和証券の常務取締役に就任した。2011年4月より現職。レッドハットエンタープライズユーザー会(REUG)の会長でもある

 

須藤 厚 氏
須藤 厚氏
大和ネクスト銀行 システム企画部 副部長
1992年、大和総研に入社し証券システム企画部に配属。大和証券グループの欧州拠点やグループ本社への出向を経て、2010年から大和ネットバンク設立準備に携わった。今回のプロジェクトでは、システム化全体構想および全体計画を策定した。現在、新銀行においてシステム改善や新サービスの企画立案などに従事している

 

水島 正美 氏
水島正美氏
大和ネクスト銀行 システム企画部 部長
北海道拓殖銀行を経て、1998年に大和インターナショナル信託銀行に入社。経営企画業務に従事した。2000年からは大和証券グループ本社におけるシステム企画や事業開発業務に携わり、2010年に大和ネットバンク設立準備会社へ出向。今回のプロジェクトでは、全体の責任者としてチームを率いた。2011年5月から現職

 

高橋 憲昭 氏
高橋憲昭氏
大和総研 第一システム本部 本部長
1985年、大和コンピューターサービス(現・大和総研)に入社。人事部長や経営企画部長を経て、2007年にシステムサービス本部長に就いた。2008年には大和証券へ出向し、システム企画部長に就任。主にリテール業務向けシステムを担当した。2010年から現職。今回のプロジェクトでは、プロジェクト推進本部の責任者を務めた

 

─  大和証券グループは2011年5月、新銀行「大和ネクスト銀行」を開業しました。今日は、同行の勘定系を担うシステムの構築プロジェクトについて、銀行のメンバーとプロジェクトを支援した大和総研の方々に伺います。まず、新銀行設立の構想が持ち上がったのはいつごろですか?

鈴木: 2008年です。その後、2009年春に社内の検討組織を立ち上げ、須藤君が中心になって事前調査を進めました。

─  調査って何をするんですか。

須藤: 銀行ではどういう業務が発生するのかや、どれだけのシステムが必要なのかを洗い出したんです。

水島: その半年後ぐらいに私も合流してベンダー選定を実施。2009年11月に、プロジェクトを本格スタートさせました。

─  そのころには2011年5月開業というゴールは設定されていた?

鈴木: もちろんです。

─  ではシステムの開発スケジュールを教えてください。

高橋:  まず要件定義から始めて概要設計、詳細設計と進め、2010年7月には開発を完了させる。そんなスケジュールでした。

─  ちょっと待ってください、スタートして9カ月で開発まで済ませるつもりだったということ?

高橋:  そうです。銀行システムの開発期間としては、最短だと思います。

─  新銀行の開業予定は、当初から2011年5月だったんですよね。だとすると前年の7月に開発を終えるスケジュールは、前倒ししすぎでは。

鈴木: そう思われるかも知れませんが、銀行のシステムって制約がいろいろあるんです。全銀システムや日銀ネットとの接続テストとか、金融庁の審査や外部監査とかね。それに銀行システムは性質上、半年以上と長いテスト期間をとることを求められます。これらを考え合わせて逆算すると、2010年中には結合試験と総合試験まで済ませて、動作する状態にしておく必要がありました。

─  それには7月の開発完了がマストだったと。

須藤: ええ。ですからスクラッチ開発はあり得なかった。最初からパッケージ製品の採用が前提でしたし、パッケージも原則として改修しない方針でした。

Linuxへのマイグレーションで大手ベンダーが脱落

─  銀行パッケージというと、外資を含めてけっこう数があります。選定は、どのように実施したんですか。

水島: 条件を作った上で、大手5〜6社にRFPを出したました。ところが最初の提案では、どのベンダーも条件をクリアできなかったんですよ。

─  やっぱり開発期間の問題ですか?

須藤: それもありますが、最大のハードルになったのは、Linux上で稼働させる点でした。

─  銀行の勘定系をLinuxで?東京証券取引所の「アローヘッド」など、金融分野でも事例が出つつありますが、勘定系での利用は聞いたことがありません。

鈴木: Linuxなら運用コストを大幅に削減できるし、ベンダーに縛られることもない。ここは譲れませんでした。でもLinuxで稼働するパッケージはありません。そこで既存パッケージをLinuxにマイグレーションすることを求めたんです。

─  パッケージを導入するだけでもそれなりの時間がかかります。そこに異なるOSに移植する作業が加わる。それを9カ月でやり遂げるというのは、ベンダーにとって非常にリスクの大きい案件では。

鈴木: おまけに銀行システムですから、ミスは絶対に許されない(笑)。確かにハードルは高かったでしょうね。

─  その難しい注文に、どこが応えた?

水島: 富士通です。交渉の結果、Solarisベースのパッケージ「W-BANK」を、期限内にLinux化するというコミットを引き出しました。

─  ビジネスとは言え、よく引き受けたな、というのが正直な感想です。

鈴木: ええ、富士通社内でも意見が分かれたと聞いています。私自身、「こんな短期間でやるのは大変だよなあ」と思っていたくらいですから。

─  ちなみに富士通とは、以前から付き合いはあったんですか。

鈴木: ほとんどありませんでした。

─  そうですよね。でも、それはますます不思議だ。

鈴木: 実は、伏線があるんですよ。

─  気になりますね。なんですか。

鈴木: ちょっと長くなりますが、お話ししましょう。

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