[ザ・プロジェクト]
中外製薬が挑む「デジタルを駆使したAI創薬」その進捗と成果
2022年10月19日(水)奥平 等(ITジャーナリスト/コンセプト・プランナー)
中外製薬のコアコンピタンスは、テクノロジードリブンな医薬品メーカーであることだ。多くの製薬会社が特定疾患に絞り込んで創薬に取り組む中、同社は応用可能な技術開発に注力し、培った技術/知見を広範に適用して画期的な新薬の創出を成功させてきた。このアプローチを進化させるべく、2021年2月に発表した新成長戦略「TOP I 2030」では、デジタルトランスフォーメーション(DX)をキードライバーの1つに据えて「世界最高水準の創薬実現」を目指している。2022年6月、経済産業省と東京証券取引所の「DXグランプリ2022」にも選定された同社の、AI創薬への取り組みを中心に、その進捗と成果を探っていく。
アンメットメディカルニーズの突破口を開く
2021年3月、英国Nature Researchが発行する自然科学分野の総合科学誌「Scientific Reports」に日本の製薬メーカーにおけるAI活用の取り組みが掲載され(掲載記事)、大きなインパクトを持って世界に発信された。中外製薬の抗体創薬支援技術「MALEXA(マレクサ)」の研究成果である。同誌は出版論文数において世界最大の学術雑誌に位置づけられると共に、論文の重要性やインパクトではなく、科学的正当性のみを評価することで知られている。
中外製薬では1980年代より国内バイオ医薬品開発のパイオニアとしての歩みを続け、2005年には国産初の抗体医薬品を上市。その後、血友病治療薬として世界初のバイスペシフィック抗体を世に送り出すなど、世界から注目される革新的な抗体エンジニアリング技術を相次いで生み出してきた。
代表的な技術としては、リサイクリング抗体創製技術のSMART-Ig、バイスペシフィック抗体生産技術のART-Igなどが挙げられる。加えて、これまで安全性の課題により狙うことが難しかったターゲットに対応するスイッチ抗体技術のSwitch-Igなど次世代抗体エンジニアリング技術も開発している。
さらには、創薬のパラダイムシフトとも称される「中分子創薬技術」においても確かなアドバンテージを築きつつある。中分子医薬は、抗体と低分子の特徴を併せ持つ領域で、従来の低分子医薬品などの技術では困難であった標的に対して、経口投与などのアプローチが可能になると期待されている。しかしながら、細胞内に到達しうる代謝が安定した中分子化合物の創製には多くの技術課題が山積し、これまで薬剤完成への道は閉ざされていた。
中外製薬では10年以上前からこの領域に果敢にチャレンジし、薬剤になりやすい構造を持つ多様で膨大な中分子化合物群(環状ペプチド)を創製するなど、独自の中分子技術を確立。2021年10月には自社初の「中分子プロジェクト」が臨床試験段階に入り、いまだ有効な治療法が見つかっていないアンメットメディカルニーズ(Unmet Medical Needs)への突破口を開こうとしている。
冒頭で触れたMALEXAは、Machine Learning×Antibody、すなわち機械学習と抗体の頭文字を取った中外製薬独自のAI創薬技術である。上述の流れを踏襲しつつ、「機械学習と抗体の掛け合わせで創薬プロセスを変える」ことを目指している。まさしく、同社が取り組む創薬モダリティ(注1)である、抗体・中分子デザインの在り方に立脚した技術基盤だと言っても過言ではない。
こうして中外製薬のAI創薬への取り組みを象徴するMALEXAだが、まずはそこに至るまでの経緯を、同社におけるデジタルへの取り組みと共に整理してみることにする。
注1:創薬モダリティまたは医療モダリティは、医薬品における創薬基盤技術の方法・手段の分類を表す。Modalityは手順、様式の意味。
DX戦略の1丁目1番地に新薬創出
中外製薬が2020年3月に策定したDX推進指針「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」(以下、デジタルビジョン)では、「デジタル技術によって中外製薬のビジネスを革新し、トップイノベーターになるという目標の下、「デジタルを活用した革新的な新薬創出」「すべてのバリューチェーン効率化」「デジタル基盤の強化」を3本柱に掲げている。
同社上席執行役員 デジタルトランスフォーメーション統括の志済聡子氏(写真1)は、いずれの柱も重要としながらも、やはり「1丁目1番地は新薬創出」と説き、その戦略として「DxD3(Digital transformation for Drug Discovery and Development)」というキーワードを示し、次のように説明する。
「新薬の開発は、通常でも10年から15年、1000~2000億円という膨大な時間・コストを費やすにもかかわらず、その成功確率は0.04%と言われています。それだけに、新薬メーカーにとって、新薬開発の生産性とスピードを飛躍的に向上させることは、まさに究極の課題といっても過言ではありません。そこで当社では、AI創薬、RWD(リアルワールドデータ)、dBM(デジタルバイオマーカー)からなるDxD3を打ち出し、DX視点での新薬創出を積極的に進めています」(図1)
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同社では以前から研究本部を中心に、複数のAI創薬プロジェクトを進行させていたが、部門間の情報共有・交換が十分でない側面があったという。その中にあって、2019年10月に全社横断でDXを本格化させるべく、デジタル戦略推進部が発足。同セクションが横串をさして全社での推進をリードすることで、AI創薬への取り組みが加速を付けて広がった。
2021年2月には、「世界最高水準の創薬実現」と「先進的事業モデルの構築」を企業目標とする新成長戦略「TOP I 2030」が発表され、DXがキードライバーの1つとして明確に位置づけられた。これにより、「抗体・中分子デザイン」「研究開発における論文領域」「Digital pathology技術」「ヒト予測Model & Simulation」をはじめとする複数の領域において、AIを活用したさまざまな創薬プロセス変革が展開され、今、開花の時期を迎えようとしている。
●Next:ディープラーニングや自然言語解析AIが創薬を変える
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