日本人の精神を復活させる人材育成の“場”を作れ:連載小説『真のグローバルリーダーになるために』最終回
2016年12月9日(金)海野 惠一(スウィングバイ 代表取締役社長)
香港での鉄道カードシステム構築を落札した日本ITCソリューション。だが、それは社内でのグローバルリーダー不在を改めて浮き彫りにした案件でもあった。事業部長の三森は、時代のグローバルリーダー育成に向けて、山下塾の木元塾頭と、まずは日本ITCソリューション社内に山下塾の支部を作ることを相談する。山下塾は木元塾長自身が、グローバル人材であり続けるための勉強ができる場として開かれたのが契機だった。
日本人のアイデンティティが失われたのは、大東亜戦争が終わりGHQが教育勅語をはじめとした徳育教育を廃止したためではないかと、木元塾長も以前は考えていた。だが、決してそれだけではない。明治維新を境に私塾がなくなってしまい、生涯教育がなくなったが故に、人間の生き様としての「尊厳」とか「品格」の下地としての素養が劣化してしまったのではないだろうか。
大学における一般教養も本来そういう人格形成の目的であったはずだ。それが、仕組みとか制度といった形だけは残っているものの、その精神が劣化してしまっている。官製であればなおさらである。ある国際大学は博士号を持っていないと教壇には立てないとしているが、馬鹿馬鹿しい限りだ。学者だけが若者に教育できるという考えは間違っている。教養学部では教養のある人が教えるべきで、必ずしも学者が適任とは限らない。
木元は、日本人教育のあり方を今一度、自ら作り直そうとして山下塾を運営している。彼は山下塾の支塾を増やすことで、グローバルリーダーの育成と、その維持のために尽力しようと考えていた。そこに日本ITCソリューションの三森事業部長から、同社内に支部を作りたいという井話が持ち込まれたのである。
三森が木元塾長に電話した、その週の土曜日、三森は日本ITCソリューションの経営企画部部長である布施を伴って山下塾に参加した。木元が2人に挨拶し、講師のエドを紹介した。エドは2人に午前中に行うイランの講義について、その概要を説明すると直ぐに講義に入った。
講義ではまず、宿題の『The ISIS Crisis, Iran's Policy Toward Iraq & Syria, and the Iranian-Saudi Rivalry』のYouTube動画を再生した。全体で1時間ある動画をエドは10分刻みに区切り、その内容を丁寧に塾生に説明した。いつもはエドと木元塾頭との会話が8割を占める。要するに、講義をしているのはエドだが、木元塾頭も共同で講義するような形式になっている。もともと木元自身が自分で受講したくて立ち上げた背景があるのだから自分自身でも講義はできるのだが、あえて自身では行わず、塾生には講師とディスカッションする形で指導している。
こうした指導の仕方は、一般の学校ではない。リベラルアーツの知識を議論することで塾生は知識の理解を深められる。もともと日本人は議論をしない。講師と木元が丁々発止する中で、塾生が割り込んでくる。英語を学ぶのではなく、英語で学ぶのだ。そこでは議論の背景が分かっていないと全くついていけない。塾生は今回のテーマであるISISとかイラクやシリアに対するイランの政策、イランとサウジアラビアの関係について、事前に勉強してこなければならない。
英語での講義には英語力よりも情報とか知識が大切だ
しかしながら見方を変えると、そうした背景を理解していれば、英語のレベルが高くなくても彼らの議論についてこられるようになる。不思議なことだが、情報とか知識があれば、英語力が相当のレベルでなくても、こうした会話に参加できるということだ。エドはYouTubeの宿題のほかに、塾生が講義の内容を理解しやくなるように、事前にFacebookを通じて資料を配布している。塾生は、それも勉強してくるので今日の議論に参加できることになる。
動画を流すだけでなく、そこに登場する人物の意見に対しても、彼の考えを述べるようにしている。そうすることによって、塾生に問題意識を持たせられる。木元塾頭は、そのエドの解説に対して、反対意見とか疑問を投げかけることによって塾生の理解をさらに深めさせよようとしているのである。
昼は会場近くのレストランで済ませ、大体30分後ぐらいには午後の講義が始まる。その日の午後は「中国の腐敗と汚職」がテーマで、講師は日系人のヤスが担当した。プレゼンテーションの資料は41ページもあり、午後の4時間で終了するのは難しい。次週に持ち越すことも多々ある。ヤスも講義の進め方はエドと同じだ。2人の講師は日本語が相当にできるが、日本語は一切使わないようにしている。
そんな調子で、この日の講義も午後5時に終了した。木元は講義中は三森と布施に気を配ることはなかったが、終了時に三森に質問した。
「いかがでしたか」
「いやあ、勉強になりました。ですが、英語が難しかったですね」
布施も同じような感想を持っていた。彼らは場所を変えての反省会にも出席した。反省会は、その日の反省をするというよりも、丸1日の英語漬けで誰もがぐったりしているので、どちらかといえば慰労会のようになっている。会場は木元の会社の近くの中華料理屋だった。
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