香港の鉄道カードシステムを巡る大型案件の獲得に向け、日本ITCソリューションは、競合相手である北京鳳凰との共同受注に向けて最後の説得に臨んでいた。日本ITCソリューション課長である佐々木の説明を受け、北京鳳凰の創業者である蘇董事長が信頼の念を示し、プロジェクトの背後にある“次のプロジェクト”についても佐々木らに話してくれた。
蘇董事長が、かつての日本人の立ち居振る舞いについて敬意を払っていたという話を継いで、息子である蘇総経理が話し始めた。
「三森さん、佐々木さん。今回の入札の最低金額については、私どもも皆さんが想像したように8億香港ドル(約124億円)を想定していました。ですので入札金額は7億香港ドル(約108億円)にすると決めています。このまま行けば弊社が落札できるでしょう。
ただ今日まで、お話を伺ってくるなかで弊社は今後、御社と一緒に仕事をしていきたいと思うようになりました。董事長とも相談していたのですが『まずは皆さんに会ってからどうするかを決めよう』ということになりました。そして佐々木さんの話を聞き、みなさんを信用できる日本人だと判断したのです。
ですので父は、本当のことを皆さんにお話しました。今回の入札は御社に譲ることにします。弊社は、もう1つの案件に入札することにします。もちろん今回のプロジェクトにおいても、弊社ができることは是非とも協力させてください」
「そうでしたか。ありがとうございます。わざわざ北京まで来た甲斐がありました。今日の鍋料理は美味しかったですが、董事長のお話には胸を打たれました。かつては日本にも、ご尊父のような立派な人格者達がいましたが、そうした人たちの歴史を勉強している日本人は今や、ほとんどいません。私も佐々木も日中の関わりを深めていくためには、こうした歴史を改めて勉強していく必要を感じております。
も1つ正直に申せば、中国の方々は同族・同郷意識が強いので、我々は皆さんの信頼の輪の中には決して入れないものだとばかり思っていました。それが今日、このように私共を信用していただけたということで、心から感謝いたします」
三森が答えた。蘇総経理らは、食事が終わると三森と佐々木の2人をホテルまで送ってくれた。時間はすでに10時を回っていたが、三森は佐々木をバーに誘った。ホテルのガーデンウィング1階のバーにはハウスバンドが入っていたが、落ち着いた雰囲気だった。
こういう結果になるとは思ってもいませんでした
それぞれが飲み物を頼み終えると三森が口を開いた。
「本日はご苦労様でした。今日は予想外の展開でしたね。こういう結果になるとは思ってもいませんでした。先方が譲歩してくれましたので、今回の入札はうまくいきそうです。入札の締め切りまでには、きちんとした資料を作れるよう、北京鳳凰の蘇さんとは今後、何度かあって詳細に詰めないといけません」
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そう言って三森はカバンから、佐々木が作成した報告書を取り出した。報告書にはこれまでの予定が書かれていた(表1)。
「今日は7月8日ですから、入札資料の提出までには、もう1週間しかありません。資料は、ほとんどできていおりますので、あとは北京鳳凰側のプロジェクト責任者とやり取りする必要があります。ですが、これはメールと電話で対応すれば、なんとかなるでしょう」
三森が話をしているうちに、飲み物とつまみを給仕の女性が持ってきた。佐々木は注文したブラディメアリーにタバスコを振りかながら、いつものように、このカクテルの語源を思い出していた。「Are you Mary?」という言葉には、隠語で「おまえは生理か?」という意味があり、ブラディメアリーは、この言葉の音と意味からきていると誰かから聞いたことがあったのだ。
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