生産性の向上は働き方改革の主要な目的の1つだが、それに向けた施策のなかで見落とされがちなのが、社員の健康管理である。疾患による離職・休職を防止できれば生産性の向上につながるし、社員を大事にする会社として評価が上がれば、優秀な人材も獲得しやすくなる。その健康管理の新しい動向として注目したいのが、IoTを活用したヘルスケア・ソリューションである。
年1回の健康診断では不十分
会社員の皆さんは、健康診断を年に1度は受けていることだろう。その結果を見て、安堵したり日ごろの不摂生を反省したり…自分の健康管理について、あらためて考えるきっかけを与えてくれるだけに、欠かさず受診することを心がけたい。
もっとも、健康診断だけに頼りきってはならないということも知っておく必要がある。生活習慣病の予防・早期発見には効果が高いものの、健康診断では発見しにくい病気もあるし、症状によっては1年の間に急速に進行するケースもある。とにかく体調不良を感じたら、専門医に診断を仰ぐことが基本になる。
また、健康診断は「からだ」の健康を対象とするものであり、「こころ」の健康は対象外である。そこで2015年12月から「ストレスチェック制度」が義務化されたわけだが、やはり年1回のストレスチェックで十分なメンタルヘルス管理が行えるとは考えにくい。「こころ」の病気は、環境の変化などによって急に発症することも多いからだ。
ともあれ、日々の体調の好不調は、社員の自己申告でしかわからない。人によっては、「自分が抜けると周りに迷惑をかける」という責任感から、あるいは単に気が弱くて、体調不良を訴えられないということもある。また、専属の産業医がいるような会社でも、気軽にカウンセリングが受けられるような雰囲気ではないという職場もあると聞く。
いずれにせよ、社員の健康を維持・増進することは、生産性の向上や離職率・休職率の低下につながり、会社にとっても大きなメリットがある。無理をした社員が職場で倒れる、といった事態は何としても避けたいところだが、そのためにはよりきめ細かな健康管理が必要だ。そこで注目を集めているのが、IoTを活用したヘルスケア・ソリューションである。
IoTでリアルタイムの健康管理が可能に
ヘルスケアへのIoT活用は、スマートウォッチなどのウェアラブル端末が登場して一気に身近になったが、その必要性が広く認識されるようになったのは、2016年1月に発生した軽井沢スキーバス転落事故がきっかけと言ってよいだろう。
この事故では、格安バスツアーのビジネスに様々な問題があることが指摘されたが、バス会社の運転手に対する健康管理がずさんだったことも、事故の原因の1つではないかとされた。「健康管理がしっかりしたバス会社だったら、この事故は起こらなかったのではないか」というわけだ。
この事故で運転手の体調がどうだったかはともかくとして、運送業や建設業など、従業員の体調不良が重大な事故につながりかねない業種では、ウェアラブル端末を使ったリアルタイムの健康管理は極めて有効である。
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例えば、富士通では、耳たぶに装着する「FEELythm(フィーリズム)」や、腕に巻き付ける「バイタルセンシングバンド」などのセンサーと、センサー情報を処理して活用するためのプラットフォームを「FUJITSU IoT Solution UBIQUITOUSWARE(ユビキタスウェア)」として展開している。FEELythmは、脈波から眠気を察知して居眠りを防止するドライバーを想定したセンサー。バイタルセンシングバンドは、主に建設業や製造業などでの利用を想定したセンサーで、身体情報だけでなく、温湿度などの環境データも取得できるセンサーだ。
こうしたウェアラブル端末による健康管理は、オフィスワーカーにも広がりを見せている。
例えば、伊藤忠商事は、腕時計型のウェアラブル端末を生活習慣病予備軍の若手社員に支給し、肥満防止に役立てるという取り組みを行っている。血圧、心拍数、歩行数、睡眠時間などの生体データを収集、社内ポータルのマイページで確認できるようにし、社員の自己管理を促すほか、データに基づいた保健師からのアドバイスも受けられるようにしているという。
なお、伊藤忠商事は、経済産業省と東京証券取引所が共同で選定する「健康経営銘柄」に2年連続(2016年、2017年)で選ばれている。健康経営銘柄は、従業員の健康管理に積極的に取り組み、成果を上げている企業を選定、公表するものであり、企業による健康経営の促進を目的にしている。健康経営に積極的に取り組むことが、企業価値を高めることになるわけで、経営トップ自らがCHO(チーフ・ヘルス・オフィサー」となって健康経営にコミットする企業や、健康経営に対する取り組みを対外的に公表する企業は年々増えている。
社員の生活にどこまで会社が介入すべきか
伊藤忠商事の取り組みは、現段階では生活習慣病予防の範囲にとどまっているが、ウェアラブル端末で収集したデータの活用範囲は、心的ストレスの計測にも広げられるだろう。メンタルの状態は、心拍数や体温などのバイタルデータにも影響するからだ。
ただし、ウェアラブル端末で収集可能な身体情報は、極めて秘匿性の高い個人情報であることは言うまでもない。その取り扱いに細心の注意が必要なのはもちろんのこと、誰がどのタイミングでそのデータに触れるのかといった点にも十分な検討が必要である。
飛行機のパイロットや電車の運転手など、人の命を預かる仕事、あるいは危険物を扱う職種であれば、リアルタイムに業務責任者にアラートを出す仕組みが必要になるだろう。しかし、一般企業のオフィスで、社員の健康状態を逐一上長に伝える必要はないし、すべきでもないだろう。技術的にできることと、会社としてすべきことは、きちんと分けて考えるべきだ。誰も小説『1984』や映画『未来世紀ブラジル』が描くような、超管理社会の到来を望んでいるわけではない。
そこでオフィスワーカー向けの健康管理のあり方としては、社員本人の自己管理を手助けするというスタンスが妥当な線ではないだろうか。ウェアラブル端末のデータから集中力の低下やストレスの高まりを検出したら、まずは本人にアラートを出し、休憩を促すといった具合である。
もちろん、中立的な立場にある産業医や保健師にデータを分析してもらえば、専門的な指導が可能になるが、そこはリアルタイムである必要はない。むしろ、一定期間データを蓄積しないと、的確なアドバイスはできないだろう。
会社側が行うべきことは、社員の健康を自己管理しやすい環境づくりだ。例えば、雰囲気のよいリラクゼーション・スペースを設けて休憩を促したり、気分を変えて仕事ができるようなコワーキング・スペースを用意したりといったことが考えられる。適度な昼寝が集中力の向上に効果があるとして、昼寝を推奨する企業も増えてきた。先に紹介した健康経営銘柄では、健康維持・増進に積極的に取り組む社員に対し、ポイントを付与してインセンティブを与えたり、給与に反映したりといった企業も選ばれている。
健康管理は重要だが、行き過ぎた管理は社員に嫌悪感を与えかねない。ちょうどよいさじ加減を見つけるには、部署・対象者を絞って試験的に導入し、問題点を洗い出して、自社に合った制度・ルールを作り込んでいく必要があるだろう。