働き方改革でさまざまなITツールに注目が集まる中、その役割を大きく拡大しつつあるのが、ビジネスチャットだ。新たなコミュニケーション・ツールとして登場したビジネスチャットは、今やコミュニケーションの枠を飛び出し、情報ハブやワークスペースへと進化を続けているのである。

メールの不便を解消するビジネスチャット

 まずは、ビジネスチャットの本来の役割であるコミュニケーションの部分から見ていこう。

 ビジネスチャットが登場した背景には、先行するコンシューマ向けチャットツールの普及があるわけだが、それと同時にビジネスチャットには“メールへのアンチテーゼ”としての役割が負わされていたように思う。

 世のビジネスパーソンにメールへの不便・不満を聞けば、いくらでも愚痴が聞けるだろう。曰く、

  • 既読/未読がわからない(開封通知を送るかどうかは受信側次第)
  • いちいち宛先や挨拶文を入力するのが面倒
  • 宛先の自動補完は便利だが、宛先を間違えやすい
  • メールだと物事を決めるのに時間がかかりすぎる
  • 「全員に返信」をしない人がいて、CC漏れが多発する
  • CCで送られてきたメールを読まない人がいる
  • 添付ファイルのサイズ制限のせいで情報共有が面倒
  • 添付ファイルのせいで同じ書類のバージョン違いが量産され、どれが最新かわからない

 筆者の場合、直近で遭遇したのは添付ファイルの容量制限トラブルだ。相手はクラウド・ストレージの利用が禁止されていて、しかも添付ファイルの制限が2MB以下だった。そこに10MBくらいのファイルを送りたかったのだが、ファイル送信サービスを数種試し、それらがことごとく失敗した(相手側ネットワークでアクセス制限されていた)あと、結局は分割ZIPファイルを作成して、1つずつメールに添付して送信するはめになった。分割ZIPもフロッピーが現役だった時代はお世話になったものだが、自分で作ったのは10年以上ぶりだと思う。そのためだけにフリーツールをインストールしたりしたので、ファイル1つの送信にかなり時間を無駄にした。

 ともあれ、上述したようなメールのデメリットの裏返しが、ビジネスチャットの導入メリットである。

 ビジネスチャットなら、堅苦しい挨拶を抜かしてストレートに本題に入れるし、あとから情報を共有したい人が出てきたら、追加で招待すればよい。招待された人は、会話を遡って最初からトレースすることができる。クラウド・ストレージと連携してファイルを貼り付ければ、原本をそのまま共有でき、バージョン違いも生まれない。相手やチャットルームを選んでからメッセージを入力するから、宛先間違いも発生しにくい(まったくないとは言えないが)。

ビジネスチャットなら“ワイガヤ”ができる

 メールとビジネスチャットとの違いで、何よりも重要な点は、ビジネスチャットなら“会話”ができるということだ。

 メールは手紙を電子化したものなので、送信者(From)と宛先(To)がいて、この二人のやり取りが基本軸になる。宛先の人がタイムリーに返信できないときに「横から失礼します」などと書いてCCの人が返信することが間々あるが、CCの人は傍観者(オブザーバー)というのが一般的であり、宛先の人を差し置いて発言するのはためらいがちである。ちょっと気になる点があっても、「主役が何か言うまでは待とう」となってしまう。これはメールが長年使われてきた中で染み付いた文化であるから、覆すのは難しい。

 発言をためらうような参加者がいる環境では、活発な議論は生まれない。結果、メールは優れた情報伝達手段ではあるが、それ以上にはなれなかった。

 ビジネスチャットは、ビジネスのコミュニケーションにチャットの気軽さを持ち込んだ。短い文章でやり取りを行うそれは、まさしく会話そのものである。「今ちょっといい?」と気軽に相談できるし、そのままブレストを始めることもできる。思いつきのアイデアも発言しやすい。もちろん、対面の会議のような臨場感は得られないが、一方でどこにいても参加できるというメリットがある。オンラインで“ワイガヤ”(ワイワイガヤガヤと議論すること)ができることは、メールにはないメリットだ。さらに、会話がそのまま残るので、議事録を作る必要もない。

 先に「メールは情報伝達手段どまり」と書いたが、ビジネスチャットなら情報を持ち寄ってアイデアを発展させることが可能である。コミュニケーションの先、コラボレーションに踏み込めるわけだ。

連携アプリで柔軟なコラボレーション環境を実現

 さて、ここまで書いてきたメリットは、ビジネスチャットが登場したときから謳われてきたことである。すなわち、「円滑なコミュニケーションと活発な議論の促進」がビジネスチャットの第一の目的である。

 現在、ビジネスチャット市場の先頭を走るSlackやMicrosoft Teams(以下、Teams)などのサービスでは、“ビジネスチャット”という呼び名の代わりに“ワークスペース”という用語が使われるようになっている。このことは、ビジネスチャットの主題が第一の目的から、次の領域に移りつつあることを端的に示しているように思う。その続く領域とは、ワークスペース、すなわち仕事場、作業場所、特にコラボレーション環境を提供するということだ。

 ビジネスチャットがワークスペースを提供するとはどういうことか。これは、ほぼすべての仕事はコミュニケーションから発生するという考え方によるものだ。

 ビジネスチャットで会議や打ち合わせを行えば、新たなタスクが生まれ、その進捗管理を行う必要が出てくる。成果物ができれば、それを共有し、レビューを行い、ブラッシュアップする。そうしたアクティビティの中心となる情報ハブに、ビジネスチャットがなろうというわけである。

 それを実現するために、Slackでは、連携アプリの充実によるエコシステムの構築に力を入れている。

 Slackが自身で提供する機能は、それほど多くない。テキスト、音声、ビデオのチャット、画面共有などのコミュニケーション機能は備えているが、タスク管理やスケジューラなどは持たない。その代わりに、Slackのユーザーは他社が提供するクラウド・サービスを利用する。Trello、Asana、Todoistなど人気のタスク/プロジェクト管理サービスや、Googleカレンダーなどと連携することが可能だ。ファイル共有で必要となるクラウド・ストレージは、Dorpbox、Box、Googleドライブ、OneDriveと主要なものはすべて連携できる。連携アプリの中には、SkypeやWebExなどSlack自身が提供する機能と重複するものも数多く含まれる。

 このあたりは、自前で機能を拡張するかたちで進化してきたグループウェアと大きく異なるところだ。自前で開発するとなれば、コストも時間もかかる。しかも、苦労して追加した新機能が、ユーザーに喜ばれるとは限らない。ユーザーは使い慣れたツールを使い続けたいものだ。

 もし、すでにビデオ会議システムを導入している企業で「Slackを導入したから、今後はビデオ会議もSlackを使うように」となったらどうなるか。既存システムへの投資が無駄になるだけでなく、社員への再トレーニンが必要になる。そして移行したからと言って、ビデオ会議でできることは何も変わらない。お金をかけて社員のストレスを増やすだけである。

 自社サービスの機能を増やすよりも、連携アプリでユーザーが自由にサービスを選べるようにする。このSlackの戦略は大当たりし、連携アプリは日々増え続けている。今や、クラウド・サービスのスタートアップの中には「イケてるサービスならSlackと連携できて当たり前」という雰囲気が感じられるほどだ。

SlackのAppディレクトリ(アプリストア)。カテゴリー別に300種以上のアプリがラインアップされているSlackのAppディレクトリ(アプリストア)。カテゴリー別に300種以上のアプリがラインアップされている
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 一方、Teamsもエコシステムの構築に力を入れているが、こちらは多少事情が異なる。TeamsはOffice 365に含まれるサービスなので、当然ながらマイクロソフトの各種サービスと連携が可能だ。OutlookやOneDrive、Skypeなどと連携できるのは大きな強みだ。Teams登場以前から、Office 365では「Office Web Apps(現Office Onlie)」で書類の共同編集が行えたが、Teamsが加わったことで、作業フローが非常にシンプルになった。Teamsを核にして、ファイル共有や共同編集、ビデオチャット、スケジュール管理がシームレスに行える。連携アプリに頼らずとも、Office 365だけでコラボレーション環境が整うのは、導入担当者には非常に気が楽だ。何よりOffice 365を導入済みの企業なら、追加費用無しで利用できることも大きなメリットになる。

 SlackとTeamsのアプリストアを眺めてみると、スマートフォンのアプリストアとよく似ていると感じる。スマートフォンは、アプリを追加して機能を増やせるが、追加しなければただの携帯電話だ。Slackはプリインストールアプリがほとんどない素の状態のスマホ、Teamsは標準で主要なアプリがインストール済みのスマホのようなものだろうか。

 Slackは環境を整えるのに手間がかかるが、アプリの選択肢が豊富で自由度が高い。一方のTeamsは必要な機能が最初からついてきて環境構築が楽だ。グローバルではSlackが先行しているが、昨年日本語化されたばかりで日本市場の立ち上げに遅れた。Office 365のインストールベースも考慮すると、日本市場ではTeamsの方が有利かもしれない。

 いずれにせよ、オフィスの生産性を考えるうえで、ワークスペース志向のビジネスチャットの重要性が増していくことは間違いないだろう。