ルーター、スイッチ、ファイアウォール、無線LANアクセスポイントなど、業務用ネットワーク機器の領域で地歩を築いてきたヤマハが今、工場をはじめとする産業向けにおいても存在感を強めている。これまで蓄積してきた技術力とノウハウを結集し、製造機器との連携や制御を高いセキュリティ環境下で実現するアプローチが、市場から熱い注目を集めているのだ。その具体像やユーザー価値とは?
エンタープライズITの領域で名だたる競合と伍しながら事業基盤を築いてきたヤマハのネットワーク機器の特徴は、徹底した「見える化」を筆頭に、顕在/潜在しているユーザーニーズに正対して機能に磨きをかけてきたことにある。「LANマップ機能」は最たる例の一つで、ネットワークの論理的なトポロジを可視化。ポートに接続した端末の死活監視ができるほか、複数拠点のネットワークをクラウド上で一元的に監視するサービスも提供することで付加価値を拡げている(図1)。日々の運用管理の効率化などに大きく寄与するものとして市場からの期待や信頼は高い。
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こうしてヤマハが蓄えてきた技術力やノウハウは、一般企業のオフィス環境だけにとどまらず、幅広い分野に応用が利く。ここ数年で、同社が特に注視し始めたのが製造業の工場などOT(Operational Technology)の分野であり、ITとOTの融合によって新たなユーザー価値を模索することに余念がない。SN事業推進部 ネットワーク戦略グループ 主幹の岸 裕次郎氏は「ヤマハ製のルーターで工場設備の監視や制御、さらには工場全体の見える化・インテリジェント化を推進していきましょうという提案に力を注いでおり、各方面からのお問い合わせが日を追うごとに増えています。特にIoTに関心を寄せている製造業さんや、その領域でお仕事をされているSIerさんの動きが活発ですね」と話す。
カギとなるLuaスクリプトの実行とカスタムGUI
その中核的な位置付けにあるのが、汎用スクリプト言語「Lua」をルーター上で動かすことができるという独自の仕組みだ(図2)。工場では設備の制御にPLC(Programmable Logic Controller)が設置されており、このPLCからPCアプリケーションを介して情報を取得するのが一般的だ。
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工場内での稼働を想定したPC、いわゆる産業用PCは高価格帯のものが多く、しかもPCであるが故にマルウェアへの感染リスクを内包している。相応のセキュリティ対策を施すことが欠かせず、それがまたコストアップにつながってしまうという構図にあるのだ。またPCはルーターなどの通信機器にくらべて故障しやすい傾向にあり、メンテナンスに気を遣う。
ここでヤマハのルーターであれば、LuaスクリプトによりPLCと直接通信することが可能であるため、設備の監視処理をルーターで代替できることに大きなアドバンテージがある。ルーターを使うことで、セキュリティリスクを抑え、可用性を高めるといったことができるわけだ。
「カスタムGUI」も特徴的な機能だ。これは、Webブラウザに対応するユーザーインタフェースを独自に設計し組み込むもので、ルーターに対する各種の設定のみならず、ルーターで取得したデータなどを利用者に分かりやすく表示するような使い方ができる。Luaスクリプトと組み合わせることで、ルーター上に現場の実務に合わせた画面、もっと言えば、特定用途のシステムそのものを自由度高く作り込めるのだ。
実は、Luaスクリプト実行やカスタムGUI内蔵といった機能の基本形は10年ほど前から実現されていたのだが、オフィスのネットワーク環境を対象とするシーンでは、活用のバリエーションがさほど広がらなかった。ここにきてヤマハが製造業向けに積極的に情報発信を始めたこと、感度の鋭い一部の工場系エンジニアやSIerがポテンシャルに気付いて飛び付き始めたことから、にわかに活況となっているのが昨今の状況である。
産業用PCを必要としないROIの高さ
あらためて、ヤマハのルーターを製造現場で活用することのメリットは何だろうか。「まずはROI(投資効果)の高さが挙げられます。監視や制御のシステムを新たに導入する際、IoTに対応した新規設備や管理アプリケーションライセンスを用意するとなると数百万円単位の投資が伴うことも珍しくはありません。その点、ルーターは最も安価なものであれば5万円程度で購入できますから桁違いです。Luaスクリプトによるプログラム開発は必要ですが、知恵と工夫によって、安価に目的を達することができるのです。パイロット的なプロジェクトで試しに導入してみたところ『これで十分に実用になる』といった結果に結び付くことも多々あります」(岸氏)。
馬場大介氏(SN事業推進部ネットワーク戦略グループ)は、可用性や安全性の高さを強調する。「ルーターは、一つにはPCと違ってウイルス感染や故障のリスクが少ないことが安心材料です。また最近では、ルーターを中核にして工場系とオフィス系のネットワークをつなぐような使い方も増えていますが、工場系、オフィス系ともにルーター上のプログラム自身が通信をしているため、2つのネットワークをつなげる必要がない、つまりは、それぞれのネットワーク間でパケットを通す必要がないので、高いセキュリティを実現できます。このあたりには、当社がこれまでネットワーク機器の領域で培ってきた技術力やノウハウを存分に活かしており自負を持っています」。
PLCとの連携で工場設備の管理に応用
ヤマハ製ルーターの応用として、製造業では具体的にどのようなことができるのか。ユースケースは多岐にわたるが記事公開許諾の兼ね合いから、ここではグループ会社における事例を二つほど紹介しよう。
工場の排水設備の監視に活かしているのが、ヤマハの管楽器工場だ。排水を正しく処理することは工場としての社会的責任であり、異常が発生した時には速やかな対処が必要だ。そこで、貯水槽の状況を可視化し、万が一の際にはただちにアラートメールが担当者に送られるような仕組みを整えることとなった。
ヤマハ製ルーター「NVR510」に工場系ネットワークと社内系ネットワークのそれぞれを接続。工場内にあるPLC(三菱電機製)とEthernet経由で通信し、貯水層に関するデータを随時チェックすると共に、所定の閾値を超えた場合にはメールを送信するプログラムをLuaスクリプトで組んでルーターに実装した。また、前述のカスタムGUI機能を利用し、オフィスのPCからから貯水槽の状況をいつでも確認できるようにしたのだ(図3)。
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「オフィスのPC画面でいつでも状況把握できることで、人が排水設備を定期的に巡回する頻度を減らすことができますし、異常時には直ちにメールが届くようになったので、業務改善効果は絶大です。FAサーバーや管理ソフト、年間保守料などを含む大規模投資を必要とせずにルーターとLuaスクリプトだけで実現したので、工場担当者は驚き、我々は感謝されました」(馬場氏)。
クラウド連携にも高い自由度で対応
Luaスクリプトの自由度は高く、クラウドと連携を図ることも可能だ。そんな取り組みを始めているのが産業機器メーカーのヤマハファインテック(YFT)だ。IoT時代の幕開けと共に産業機器業界では、機器の稼働状態の可視化を顧客サービスの一環として位置付ける動きが顕著になっている。ユーザー自身が稼働状態を把握できる環境を整える、あるいはメーカー側が稼働状態を把握して予兆保守にあたるといったケースが典型であり、いずれにしても今や「クラウドでの仕組み提供」が主流だ。
YFTとしては、すぐにでもIoT対応/クラウド対応に乗り出したいものの、一方では既存の機器の設計変更は極力抑えたい、自社のためにも顧客のためにもローコストで具現化したいとの想いがあった。ここで相談が持ち掛けられたのがヤマハのネットワーク機器の部門だった。「ヤマハ製ルーターとLuaスクリプトがあれば、いかにでもできる」──答はすぐに出た。
手始めとなったのがYFTの主力製品の一つであるマイクロプローバー(基板検査装置)である。ルーター「NVR700W」と検査機をEthernetで接続。検査機の動作ログを吸い上げてクラウドに転送する処理をLuaスクリプトで実現した。もちろん、セキュリティも万全だ。クラウド側では、送られてきた動作ログの集積、整形や変換といった前処理、本格的な統計処理、BIツールを使った可視化といった一連の機能を担う。
「メーカーが自社製品をクラウド対応にするとなると、とかく大袈裟に構えてハードルを上げがちですが、私どものルーターのような既存技術をうまく活用すれば解決の糸口が見つかるものです。産業機器の設定変更なしでローコストに実現したという意味で、YFTのケースは大いに参考になるのではないでしょうか」(岸氏)。
APIライブラリやサンプルプログラムで開発を支援
これまで、Luaスクリプトを触ったことのない人がいるかもしれないが、言語体系はJavaScriptと似ている部分も多く難しいものではない。開発者にとってみれば豊富なAPIライブラリ群<ログの監視/コマンドの実行/メールの送信といった基本的な操作を行うライブラリ、HTTPリクエストを送信してレスポンスを受信するHTTPクライアントのライブラリ、ソケットを使って任意のプロトコルのTCP/IP通信を行うソケット通信ライブラリ、など>が用意されている点が心強い。
またヤマハでは、今回紹介したようなサンプルプログラムを提供している。それらのソースを参照する、あるいは部分的に流用するといったことでプログラムの開発効率アップや品質向上につなげることができる。
また、ヤマハ製ルーター+Luaスクリプトで製造業向けのSIを手掛けるパートナー網の整備にも乗り出しており、各社の実績が積み上がることで、応用パターンやノウハウの裾野が広がることも期待できる。このエコシステムが形成されることで、利用者・提供者それぞれが次の高みを目指す活動が加速することになるだろう。