憲政史上最長の在任日数で安倍晋三内閣が終焉した。ポスト安倍がだれに落ち着くにせよ、政府のIT施策に大きな変化が出るかもしれない。確たる裏づけがあるわけではない。推測に過ぎないことを前もって断ったうえで、これまでの関係省庁の動きを振り返りながら考察してみる。焦点は、安倍内閣悲願・未達成の「デジタル・ガバメント」の行方だ。
新型コロナ対策で、日本のITの後進性が露呈
2020年8月28日午後5時から開かれた会見で、安倍晋三首相は持病の潰瘍性大腸炎の悪化を理由に退陣を発表した(画面1)。内閣記者クラブが政治と報道機関の馴れ合いの温床という批判はさておき、質疑応答で「IT」という単語が出たのは2000年森喜朗内閣の“イット革命”以来ではなかったか。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で日本のITの後進性が浮き彫りになったと指摘される。特別定額給付金の手続きは郵送と手作業、中小企業や個人事業者向け持続化給付金の手続きは添付書類とハンコ、陽性反応者の集計は手書きでファクス、テレワークではハンコを押すために出勤し、家庭におけるPCとWi-Fiの未普及でオンライン授業もままならず──等々、課題が浮き彫りになった。
民間ではここ数年、「これからはDX」のかけ声が高い。実際に取り組まれている本誌読者も多いことだろう。デジタルトランスフォーメーションの略と聞けば、「それならDTじゃないのか」が常人の反応だが、英語の世界では昔からトランス(trans-)をXと表記するのだという。
操作が減って仕事もなくなる?
DXの由来はわかったとして、しかし具体的にはどういうことなのか。改めて考えてみる。1960年代からの電算化(コンピュータ化)は手作業の置き換えだった。ソロバンが電卓になり、コンピュータになった。1990年代からのIT化はコンピュータと通信ネットワークの融合だ。2000年代のWebアプリケーションを経て、2010年代以降はクラウドコンピューティングだ。今のクラウドはDXを実現するための前提的な存在と言っていいだろう。
DXで目指されていることの1つは「いきなり結論」の世界だ。いや、バックグラウンドでは仕組みが動き、さまざまな手続きが行われているのだが、基本的に人間がいちいち操作することがなくなる。ないしは大幅に減る。人の関与が減ればイージーミスが減り、安・短・簡が実現する。
ロボットが介護の重労働を担い、ドローンが軽貨物を運ぶ時代がやってくる。その代わり判断の幅が極端に狭くなるので、利便性と融通とどう折り合うか、という別のテーマが生まれてくる。いわゆるシンギュラリティ(Technological Singularity:技術的特異点)だ。
身近な例を挙げれば、商品を持ってゲートをくぐるだけで精算が済んだり、自販機にスマホをかざしてボタンを押すだけで商品が出てきたり、というようなことだ。流通在庫の最適化、需要予測、交通渋滞の解消といった経済的な効用もあれば、繰り返し作業に人手が介在しなくなるので、仕事を失う人が出てくるかもしれない。
そんな世界を実現する技術には、モノばかりでなく地図上の地番にもIPアドレスを付けて、それをセンサーやバーコードで認識するIoT、ネットを通じて収集される巨大なデータをたちどころに分析するビッグデータ分析やAIなどがある。
かつてのAIは過去のデータと既知のルールを高速に演算して、「最適」と思われる解を導き出すエキスパートシステム型だが、その後、ニューロ技術や量子技術の応用でシステムが自律的に学習して結論を出す推論型が登場する。さらに、4G/LTEより大幅に大容量・高速化する5G通信では、ロボットによる自動運転や遠隔医療診断も可能になる。
技術ではなく仕組みのまずさに問題
ただ、今回のCOVID-19が浮き彫りにしたITの後進性は、技術の問題ではない。ことITに限れば、「京」の後継である理化学研究所のスーパーコンピュータ「富岳」がくしゃみの飛沫や換気シミュレーションで本領を発揮しているし、PCR/抗体検査装置もIT・デジタル技術なかりせば成り立たない。
問題は仕組み、設計のまずさにある。特別定額給付金では、最初から住民基本台帳ベースの紙書類での手続きに限定していればよかったのに、マイナンバーカードを使ったオンライン申請を併用したのがいけなかった。「カード交付枚数を増やすチャンス」と欲をかいたのは、いかにも「頭のいい人」の発想だ。
ここでのマイナンバーカードは申請システムにログインするためのツールでしかなかった。ログイン後、氏名、住所、性別、生年月日の基本4情報を入力させたのでは、何のためのマイナンバーだったのか。せめてマイナンバーで申請できる仕組みならよかったのだが、マイナンバー制度が想定していない「世帯主」という設計が、市区町村の現場に大混乱を生んだ(関連記事:新型コロナ政策で浮き彫りとなったマイナンバー制度の欠陥、行政手続きにこそサービス思考を)。
陽性が検出された者との接触確認アプリ「COCOA」が十分にその機能を発揮できていないのは、全国の保健所からの情報を集約する「HER-SYS」(感染者等情報把握・管理支援システム)との連携がネックとなっている。そのネックも、ITの問題ではなく、保健所の人手不足、煩多で複雑な入力項目、個人情報の扱いなど非機能要件にある。
政府悲願のデジタル・ガバメント
さて、ここからが本題だ。こういうときに役に立たない電子政府って何なのか。
「マイナンバーは1兆円の無駄使い」云々の轟々たる批判を受けて、ということもあったろう。2020年7月17日、政府の経済財政諮問会議が「経済財政運営と改革の基本方針2020~危機の克服、そして新しい未来」(骨太方針2020)を公表した。目玉に「デジタルニューディール」を据えており、その関連で掲げられているのは次の4つだ。
●次世代型行政サービス
●デジタルトランスフォーメーション
●新しい働き方・暮らし方(少子化対策・女性活躍)
●制度・慣行の見直し(書面・押印・対面主義からの脱却)
この4点について、集中的なデジタル投資を行い、「年内に実行計画を策定」「10年かかる変革を一気に進める」としている(図1)。
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ここでは、「東京一極集中型から多核連携型の国づくり(スマートシティ等)」「地域の躍動につながる産業・社会の活性化(観光・農林水産業、中堅・中小企業等)」につなげていくといった、バラ色のポストコロナ社会が描かれている。第2次安倍政権が猫の目で打ち出してきたキャッチフレーズが並んでいるように見えるのは、アフターコロナを安倍政治の集大成にする決意の現れだったのかもしれない。
このデジタルニューディールのベースに、「デジタル・ガバメント推進方針」(2017年年5月策定)がある。骨太方針2020が発表される約1カ月前の6月22日、安倍首相は骨子案の時点で「国・地方ともに行政サービスをデジタル化し、デジタル・ガバメントを国民目線で構築していくことは一刻の猶予もない」と述べ、不退転の決意を滲ませた。それを受けて報告書は、わざわざ「断固たる意志を持って」と付け加える念の入れようだ。
デジタル・ガバメントは、「世界最先端デジタル国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」(2017年5月閣議決定)の重点分野の1つとして掲げられた。その推進方針には、「本格的に国民・事業者の利便性向上に重点を置き、行政の在り方そのものをデジタル前提で見直すデジタル・ガバメントの実現を目指す」とある。
次世代型行政サービス、DX、制度・慣行の見直しが意味するのは、まさに安倍首相が強調した「行政サービスのデジタル化=デジタル・ガバメント」にほかならない。その具体的なイメージは、2018年1月の「eガバメント閣僚会議」で示されており、それが同年10月に成立した「デジタル手続法」(情報通信技術を活用した行政の推進等に関する法律、2019年1月施行)というわけだ(図2)。
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より詳細に見ると、添付書類の撤廃と押印の任意化、オンライン化の徹底、本人確認手法の見直し、行政事務のBPR、複数手続きのワンストップ処理(ワンストップ/ワンスオンリー)が挙げられ、技術的手法としてオープンデータを前提としたサービスデザインの採用、語彙や文字コード、データフォーマットの標準仕様、デジタルプラットフォームの形成が指摘されている。
●Next:行政手続きのオンライン化での政府のアピールと実態の差
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