IT業界の人材状況は、量の不足感は急激に緩和されつつあるものの、質の不足感は依然として高い。 情報処理技術者試験の改訂など、高度IT人材育成の取り組みは行われてきたが、具体的成果は見いだせていない。 プロ意識の欠如、失敗を許さない環境、OJTの機能不全、時代遅れのモチベーションマネジメント─。 こうした課題の解決策として、本稿では「プロフェッショナルコミュニティ」の設立と、 経験を学びに変える場として「ワークプレースラーニング」を現場に取り入れることを提案する。 ※本記事は日本ユニシス発行の「技報 通巻105号」(2010年9月発行)の記事に一部加筆・編集して掲載しています。
情報処理推進機構(IPA)のITスキル標準センターに「エデュケーション委員会」と呼ぶプロフェッショナルコミュニティがある。すべての職種の育成を担うプロフェッショナル「エデュケーション職種」について検討するものだ。同委員会は高度IT人材育成の課題や対応策、その中でエデュケーション職種が果たすべき役割について議論、提言してきた。以下では、同委員会の主査として活動してきた筆者の経験を踏まえ、IT業界全般における人材育成に関する課題と原因を考察すると共に、その対策について提案する。
IT業界の人材状況
約40%がエントリレベル
2010年5月、IPAはIT人材白書2010を公開した。これを基に、まずIT人材を取り巻く環境とIT人材の状況について確認する。
IT業界は1970年代の勃興期から急激な発展を遂げ、人材需要も飛躍的に拡大してきた。当初はIT人材の量的確保が課題であり、2000年には97万人ものIT人材が不足するという予測が発表されるまでになっていた。その後、さまざまな量的確保に対する施策が行われ、2005年の国勢調査では技術者に分類される職業の中で、IT技術者の割合が最も多くなっている(図1)。
最近ではIT企業のIT人材の量に対する不足感は急激に後退しており、一部のIT企業では過剰感すら強まっている。一方、質の不足感は依然として高く、IT企業ではハイレベルIT人材の育成が最大の課題となっている。
図2にIT業界における人材のレベル分布を示す。IT企業のIT人材のレベル分布を見てみると、エントリレベルに当たるレベル1とレベル2が約40%を占める。これに対し、企業においてリーダー層と考えられるレベル4以上の人材は全体の24%程度。レベル6以上となると0.7%にとどまり、本当の意味でプロフェッショナルと呼べる人材は非常に少ない。
もちろん、ITスキル標準のレベルだけで質の問題を議論できるものではない。だが、企業はリーダーとなるレベル4の技術者育成に注力しているものの、決して効果的に進んでいるとはいえないのが現状だ。
職種ニーズの変化も顕著になってきた。具体的には、開発系人材に相当するIT企業のプロジェクトマネジメント職種やアプリケーションスペシャリスト職種に対する需要が減っている(図3)。
背景には、近年の景気低迷によって開発プロジェクト数が減少した影響があると思われる。加えて、クラウドコンピューティングなど新たな技術の登場に伴い、高い技術力を持ったITスペシャリスト職種の需要が増えたこともあろう。さらにはITアウトソーシングのニーズの高まりを受け、ITサービスマネジメント職種の需要が増加しているとも考えられる。
IT業界における人材育成の課題と仮説
IT人材白書2010によると、IT企業のIT人材に関する主要な課題には以下の5つがある。
- ハイレベル人材の育成
- 就業満足度とモチベーションの向上
- 質の高い新卒人材の確保のための業界イメージの向上
- 産学連携による新卒人材育成
- 外国籍IT人材の活用
ここからは、最も多くの企業が課題として挙げていて、筆者が「エデュケーション委員会」での主たる活動テーマにしている「ハイレベル人材の育成」と「就業満足度とモチベーションの向上」について、その原因と対策の方向性を考察する。
高度IT人材の育成にみられるレベル間の壁
前述の通り、日本のIT企業における人材の分布は全体の76%がレベル3以下である。レベル4以上のハイレベル人材の育成は、IT企業の最大の課題となっており、これまでにもさまざまな取り組みが行われてきている。
2007年7月、産業構造審議会は「高度IT人材の育成を目指して」と題する報告書を発表した。これは日本のIT人材の育成に関する基本戦略として位置付けられ、戦略実現に向けた具体的な取り組みの一環で高度IT人材の全体像を示した「共通キャリア・スキルフレームワーク」が作成された。これに基づいて情報処理技術者試験制度の改訂のほか、ITSS(Skill Standard for IT Professional)やUISS(User's Information Systems Skill Standard)、ETSS(Embedded Technology Skill Standard)の各スキル標準間の整合化、産学連携教育などが提言されている。しかし、これらの施策の具体的成果はまだ見出せていないのが現状である。
技術者がどのように熟達化するかは、ドレイファスが5段階モデルを使って説明している。人は「初心者」「見習い」「一人前」「中堅」「熟練者」の5つのステップを経て成長していく。これをITスキル標準のレベルに当てはめると初心者がレベル1、見習いがレベル2、一人前がレベル3、中堅がレベル4と5、熟練者がレベル6と7に対応する。
一人前は、未熟ながら一人で目標を設定し、計画を立てて実施できるレベルだ。中堅は職場の中核となり、様々な経験を積んでいくレベルで、全体を把握する力や意思決定のスピードと精度を高めていく。最後の熟練者は多くの経験を積んで知識が構造化かつ体系化されているため、即座に直感的に的確な意思決定ができるレベルである。
神戸大学の松尾教授の研究では中堅から熟練者のレベルになるための壁は高く、なれるのは約1割だという。熟練者になるには、まず中堅レベルに到達しなければならないが、現在のIT企業では一人前から中堅レベルになる壁を突破できない人材が大勢いる。IT企業の人材育成もこのレベルに注力しているが、うまく育成はできていない。
ジョブローテの硬直化が人材育成の阻害要因に
人の成長に経験は欠かせない。ただし、重要なのは経験の量ではなく質である。個人の力量や経験領域を少し超えた業務に配置され、それを成し遂げた経験は自信となり、この自信が成長を確実なものに定着させる。いくら経験をしてもその業務自体が本人の力量以下なら、同じレベルに留まっているだけで成長はしない。したがって、育成のためには育てるべき人材の力量や経験領域を少し超えた業務配置をする必要がある。当然、このような配置によって組織は、失敗するかもしれないというリスクを負うことになる。
一方、経営環境の厳しさが増す中で、現場で人を育てるという余裕がなくなってきているのが現状である。企業は現場に業務効率の最大化を求める。現場は直近の業務効率を最優先するために失敗は許されず、その業務を安全に遂行できる最適任者を配置する。毎回「できる人」「経験したことのある人」が配置されるなら、いつまでたっても人は育たない。
安心して業務をゆだねられる人材は、業務効率のために異動させない。必要な能力を持っていない人材は、教えている余裕がないことを理由に受け入れ先がない。こうした状況は必然的にジョブローテーションの硬直化を招く。このことが人材育成の大きな阻害要因になっていると考えられる。
「プロ」としての自覚と自律促進の仕組みが不可欠に
日本では、IT技術者にプロフェッショナルとしての自律性があまり求められていないのも事実である。IT企業の中での従業員としての立場が長く続いていたので、自律的に社会の中における個としての責任を果たしていくという動機付けがされてこなかったためだと考える。
IT技術者は企業の中での活動に制約される。たとえポテンシャルがあっても、企業の事情に制約され伸長する機会が与えられない。そのため結果的に低いレベルに留まっている。
IT業界では長らく、人材の量的確保が課題となっていた影響もある。仕事の価値を「従事した時間」という量で計る人工(にんく)ビジネスが中心だったことが、プロフェッショナルとしての自律性を阻害する要因になってきた。
熟練者レベルの育成という目的を果たすには、プロフェッショナルとしての自覚と自律を促す仕組みの構築に加え、人材の流動化の促進が必要だ。
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