近年、経営環境が大きく変化するのに伴い、革新的な事業創造が大きな経営課題になっている。 では、企業のIT部門やITベンダーは、事業創造に対して期待されたような役割を果たしているだろうか。 IT人材が貢献度を高めるには、多様な視点を持つメンバーで共創を成し遂げる「デザイン思考」が必要だ。 本稿では、デザイン思考を実践してイノベーションをリードする“デザイン型人材”について考察する。
※本記事は野村総合研究所発行の「ITソリューションフロンティア」2012年5月号 Vol.29 No.5の記事を一部編集して掲載しています。
成熟した国内市場に、広がり続けるグローバル市場。企業が今まさに目の前にしている国内外の市場環境において、事業規模の拡大や競争力の強化を果たすには、事業創造すなわち新しい製品やサービスの開発が不可欠になっている。そうした中、企業のIT部門や情報システム子会社、ITベンダーなどに所属し、情報システムの企画・構想から構築に関する業務を主とするIT人材は、どのような役割を担い貢献できるのだろう。
1980年代から、企業の情報システムに関わるIT人材は、業務効率化や情報の見える化などの価値を提供し続けてきた。1990年代からは、ITは経営戦略や事業戦略を実現する重要な手段と位置付けられるようになり、新事業創造といったビジネスイノベーションへの貢献がITに期待されるようになった。
ところが、である。図1に示すように、ITの活用テーマとして「事業・サービスの創造支援」への期待は年を追うごとに低下している。日本企業がITの力によってビジネスイノベーションを起こすという期待感は徐々に薄れているのである。これは、事業の現場が飛び付くような魅力的で斬新なコンセプトを、IT人材の側が打ち出せてこなかったことを示していると思われる。
事業創造への貢献を妨げるIT人材を取り巻く環境
IT人材が事業創造という期待に応えられていない理由として、いくつかの環境変化が挙げられる。1つは「進行した効率化と専門性の追求」、もう1つは「イノベーションの質の変化」である。
創造性を低下させた効率化と専門性の追求
IT人材には、ユーザーの現場の実態を深く理解し、潜在的なニーズを発掘することが期待される。しかし、昨今はこうしたことを妨げる要因がいくつもある。
第1に、IT部門やITベンダーでは効率性・生産性を追求するために、分野別・機能別といった組織の縦割り化が進んでいることである。各スタッフが担うべき役割、必要とされる業界やITの知識領域が明確なので、効率よく専門性を高められるという利点がある。一方で、業務分担の明確化に固執して担当以外のことは“ひとごと化”し、自ら視野を狭める結果になりやすい。結果としてユーザーや顧客の潜在ニーズを発掘することが難しくなる。
第2に、長年にわたって維持管理してきたシステムが高度化・複雑化していることである。現状のシステムは多くの制約が複雑に絡み合い、さまざまな技術が折り重なって構築されている。IT人材はシステムのこうした“造り”を把握していることで存在感を示してきた。機能拡張の際は、「現状はこうなっている。だからこうすべきである」というように、技術的・構造的なフィージビリティー(実現可能性)を重視した論調になりやすく、結果的に顧客志向からかけ離れてしまう。
このほか、日本企業ではIT人材の流動性が低いこともユーザー理解を妨げる一因になる。米国ではシステムの発注者側の人材が転職によって供給者側となることも多く、それが顧客志向に寄与する一面がある。日本ではこうしたケースは多くない。
日本企業が競争に勝ち抜くためにIT組織の専門性を高め、システムを効率よくビジネスの現場に提供しようとする現状は否定しない。しかし、IT人材が物事を顧客視点で多面的に考えるための土壌が奪われていることも事実である。ITによる事業創造の追求を理想とするならば、理想と現実の折り合いのつけ方が重要である。
イノベーションの質の変化
イノベーションの質が変わりつつある点も、IT人材が事業創造に貢献しづらい要因になっていると考えられる。コンピュータの著しい進化と共に、業務の自動化や処理の高速化、データの大容量化などITによるさまざまなイノベーションが生み出された。ところが、主だったサービスや業務がひと通りIT化されると、IT化することがイノベーションになるという機会が激減した。
加えて、パッケージ製品の充実やオープンソースソフトウェア(ソースコードが公開された無料のソフトウェア)の普及などにより、手早く安価にIT化することが可能となった。IT人材は、もはやITに詳しいだけではイノベーションを生み出せなくなってきたのである。
新たな価値の創造に向け
潜在ニーズを手繰り寄せる
では、ITで新たな価値を創造するためにはどうすればよいのか。そのヒントは、世の中のイノベーションが産業や人、社会の現場の課題や潜在ニーズを起点として生み出される性質のものにシフトしていることにある。
例えば、大ヒット商品である米アップルの携帯音楽プレーヤー「iPod」は「自宅にあるCDラックを丸ごとポケットに入れて持ち運ぶ」という潜在ニーズに応えるものとして開発された。従来、端末の小型化や高速化が競われていた領域に、まったく違うビジョンとコンセプトを持ち込んだ。
また、任天堂の家庭用ゲーム機「Wii」は「お母さんに嫌われない、家族全員が楽しめるゲーム」という潜在ニーズを捉え、高精細と高性能化を競い合っていた家庭用ゲーム業界に新しい風を吹き込んだ。アップルのケースと同様にユーザーに新たな経験価値を提供し、企業にも多大な利益をもたらすイノベーションとなった。
消費者が豊かになりニーズが多様化・複雑化する中で、従来の技術革新を起点としたアプローチだけでは、新たな価値が見出せなくなっている。イノベーションを生み出すためには、今後は産業や人・社会の現場の課題や潜在ニーズを起点としたアプローチがより強く求められるだろう。
“デザイン思考”を武器に
イノベーションの担い手へ
新たなイノベーションの潮流に乗って、価値ある事業を創造できるようにする。IT人材がその担い手になるために、以下のような取り組みを提案したい。
- 機能別に効率化された組織形態を前提としたうえで、IT人材が顧客中心かつ多面的な視野を持って検討できる環境をつくる。
- システム開発工程には含まれない、前段の活動である“事業・サービス検討”に目を向け積極的に関与させる。
これを実現するための武器として注目されるのが「デザイン思考」である。デザイン思考は、デザイナーが個人の能力で完結させる理解・観察・想像・可視化・実現というプロセスをチームで実行することにより、1人の天才デザイナーに匹敵する成果を上げようというもの。米国のデザインコンサルティング会社アイディオ(IDEO)が提唱したイノベーション創造の手法である。同社はアップルのマウスや、米パーム(本誌注:2010年に米ヒューレット・パッカードが買収)のPDA(携帯情報端末)のデザインを支援したことで知られる。
ここでいうデザインとは、自動車やインテリアの意匠デザインのような狭義のデザインではない。機能やユーザー体験、制度などを含めた広義のデザインを指す。デザイン思考に基づくイノベーション創造は次のような特徴を持つ。
- ロジックや細部にこだわり過ぎず、事業やサービス像を全体感を持ってとらえる。その過程で製品やサービスの提供者から最終消費者に至るすべての登場人物の感情面にまで考えを及ばせる。
- 個人の専門性よりも多様な人材のコワーク(協働)を重視し、1人では得られない着想を得る。
- 各工程を順を追って仕上げていくウォーターフォールモデルのように一方向に進むプロセスではなく、具体化と抽象化を行き来するスパイラルなプロセスで進める。
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