[木内里美の是正勧告]

デジタルの罠─IT偏重社会は必ずしも人々を幸せにはしない

2021年3月19日(金)木内 里美(オラン 代表取締役社長)

スマートフォンを肌身離さず持ち歩いて、ネットニュースを確認したり、SNSに投稿したり、YouTubeを観たり……。我々はいつしかデジタル技術にどっぷり浸った生活をするようになった。コロナ禍で人と対面する機会が減ったのがそれに拍車をかけている。そんな中で少し立ち止まって、デジタル社会と人の関わり方について考えていた。

ふと、ニコラス・カーを思い出した

 読者は、ニコラス・G.カー(Nicholas George Carr)氏をご存じだろうか? 経営誌ハーバードビジネスレビュー(HBR)の2003年5月号に掲載された「IT Doesn't Matter」(ITなんてどうでもよい)と題した挑戦的な論文と、その論点を深めて2004年に書籍化した『Does It Matter? : Information Technology and the Corrosion of Competitive Advantage』(写真1)で有名になった米国の著述家だ。HBRのエグゼクティブエディターでもあった。

写真1:ニコラス・カー誌を一躍有名にした論文を2004年に書籍化した『IT Doesn't Matter』。邦訳は『ITにお金を使うのは、もうおやめなさい』(武田ランダムハウスジャパン、2005年)

 ITがビジネスの戦略的環境であるという世の風潮に対して、ニコラス・カーの主張は「ITはすでに鉄道や電力のようにインフラになっており、戦略的というよりコスト管理やリスク管理に関心を向けるべきものになっている」と、ITマネジメントのあり方を提言した。今日、ITは形を変えてデジタルだDXだと騒がれているが、本質が変わったわけではなくビジネスのインフラであることに変わりはない。

 その頃、従業員1万6000人の企業で情報システムを刷新するプロジェクトの責任者だった筆者は、カー氏の書籍を興味深く読んだ。“戦略的”という表現の下、複雑で効率性の悪いシステムが乱立し、多額の費用を要していることを知った経営トップが、経営のインフラとして再構築することを要求したのである。

 インフラとして大きな組み替えを行うことによって年間コストは半減し、従業員全員がRSAトークンを常に携帯して2段階認証する社内ポータルに、シングルサインオンで活用する仕組みを2002年に運用開始した。基本的な構造は20年近く経っても継続されているプラットフォームである。

年々顕著になる「ネット・バカ」?

 久しぶりにニコラス・カーを思い出したのは、実はその書籍ではない。2010年に発刊された『The Shallowss: What the Internet Is Doing to Our Brains』(邦題『ネット・バカ: インターネットがわたしたちの脳にしていること』青土社、2010年、写真2)である。久しぶりに読み返してみた。

写真2:『ネット・バカ』が、ネット中毒の警鐘を鳴らしたのは今から11年前だが、その後のスマホの普及によって問題はより大きくなっている

 カーは同書で、グーテンベルグによる印刷の発明が知識の普及やコミュニケーションに革命的な影響を与えたようにインターネットも同様以上の影響を人々に与えていること、それは驚くべき恩恵であることを認めながら同時に文章の深読みや思考の集中力と思索力を削ぎ取って無知を助長しているのではないか、と警鐘を鳴らした。

 2010年と言えば、iPhoneをはじめとするスマートフォンが国内でも普及し始めて、インターネットが身近に携帯でき、検索もネットバンキングもネットショッピングも手元からできるようになった時代である。ネットワーク依存が高まるにつれ、カーの指摘が身近に感じるようになっていた。

 その傾向は年々顕著になり、街中や電車の中でだれもがスマホを覗いている不気味に見える姿を自分では気づいていない。筆者自身、iPhoneのスクリーンタイム(iOSのユーザー利用状況分析アプリ。AndroidではDigital Wellbeing)を見て、ニュースやメール、SNS、検索などに、こんなにも時間を費やしているのかと驚くことが時々ある。どこか中毒性を持っていて、思考プロセスへの影響も感じる。テクノロジーへの追跡は半ば強迫的にも感じることもある。

 ニコラス・カーは『The Shallows』を書くにあたって住まいを山中に移して“ネット断ち”をした。そうすることによって脳の回路が復活し思考コントロールが戻ったという。しかし、脱稿を間近にしてメールやSNSを復活した時、「これなしで生きていけるかどうか、正直自信がない」と同書の中で打ち明けている。

 最近、スウェーデンの精神科医、アンデシュ・ハンセン(Anders Hansen)氏が記した『スマホ脳』(アンデシュ・ハンセン著、新潮社、2020年)という書籍も手に取った。この本もデジタルは便利だが、よほど意識して使わないと決して人々を幸せにしないことを考察している。

デジタル化で陥りやすい罠

 しかし、多大な恩恵を与えるデジタル化に関する対価──犠牲にしたり、喪失したり、置き去りにするもの──が語られることはまだそれほど多くはないし、認知されているわけでもない。ニコラス・カーが警鐘を鳴らした思考の浅薄化はその1つだが、もっと身近な問題も多い。

 例えば、利便性が際立つことからデジタル礼賛が生じて、なんでもできるようになると錯覚も与えてしまうことだ。デジタル化が進んでも、人間の知的活動やクリエイティビティを代替出来るわけではない。ここに言わば“デジタルの罠”がある。

 一方で、利便性の感覚は個人によって異なり、仕事や生活と密接につながる。したがって自己中心で考えるから他人の利便性、社会全体の利便性への感覚はおろそかになりがちだ。さまざまなSNSを使ってみれば、参加者が同じレベルで理解しているわけではないことが分かる。不用意な発言で炎上させてしまったり、アカウントを乗っ取られてしまったり、間違った投稿をしていたり、インシデントやアクシデントがあちこちで起こっている。ITリテラシーや情報リテラシーの問題として片づけてしまえるほど、これは単純ではない。これもデジタルの罠だろう。

 これらとは別に、デジタルデバイドの問題も依然として深刻である。デジタル化が進むにつれ、その格差は広がっていく。利便性から遠いところに置き去りにされるという“対価”であり、これもデジタルの罠である。コンピュータやインターネットが不自由なく使える人には理解しにくいが、使えない人たちはさまざまな環境で存在する。貧困によることもあり、身体的障害があることもある。

 そのような障害や障壁がなくても、過疎地での通信環境は極めて劣悪である。高齢者にとってもデジタルのハードルはかなり高いし、そうでなくともデバイスやアプリを使いきれないデジタルイミグラント(デジタル移民と呼ばれる、人生の途中からインターネットを経験するようになった世代の人たち)も、デジタルデバイドの憂き目に遭う。こういう人たちにデジタル社会は決して優しくはない。包み込むことなく置き去りにして、デジタル化はどんどん進んでいく。

●Next:人々の心をつかむユーザーエクスペリエンスが解決できること

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