「CIO賢人倶楽部」は、企業における情報システム/IT部門の役割となすべき課題解決に向けて、CIO(Chief Information Officer:最高情報責任者)同士の意見交換や知見共有を促し支援するユーザーコミュニティである。IT Leadersはその趣旨に賛同し、オブザーバーとして参加している。本連載では、同倶楽部で発信しているメンバーのリレーコラムを転載してお届けしている。今回は、CIO賢人倶楽部 アドバイザー 沼英明氏によるオピニオンである。
1984年1月某日、30歳になったばかりの筆者はスイスのバーゼル空港に空港に降り立った。当時勤めていた製薬会社、ノバルティス ファーマの本社があるスイスに、仕事をマスターするための修行に赴任したのである。スイスと言えば、風光明媚なアルプス連山とハイジの里、チーズフォンデュやラクレット、緑の平原で草を食む牛たち、観光や永世中立国といった平和な情景をイメージする方が多いと思う。筆者も、そんな印象を持っていた。
ところが2年間の修行が始まると、すぐにイメージとは逆の顔を知った。スイスは当時、ヨーロッパ全体の27%の資産を保有しており、金融と製薬・化学・食品が主産業である。世界的に知られるスイス銀行をはじめとするスイスの金融機関が世界のカネの流れを下支えし、加えて世界で10位以内の売り上げを誇る製薬企業が3社もスイスに、それもバーゼルに本社を構えていた。
人口わずか数百万人という小さな国スイスの大手企業は、当時からグローバルのマーケットで確固たる地位を築き上げ、事業を展開していたのである。また、小さいとはいえ最新式装備で固められた軍隊も保有し、スイス企業の幹部の一部は軍人の上層部が兼務することを知ったときには、さすがに驚いた。
修行の日々のはじまり
さて、スイスでの勤務が始まって周りを見渡すと、働いているのはスイス人だけではなく、ドイツ人、フランス人、イタリア人、イギリス人といったヨーロッパ各国の人たちだった。バーゼルはフランスおよびドイツと隣接するスイス国境の都市であり、したがってフランスやドイツの国境付近の地域はバーゼルへの通勤圏である。他のヨーロッパの主要国へもクルマで2~3時間しかかからない。そんな地理的な利点もあり、バーゼルには各国から優秀な人材が集まっていた。
当然、社内ではドイツ語、フランス語、イタリア語が飛び交う。公用語は英語とはいえ、筆者は日本で働いているときと違った言葉と文化の洗礼を受けた。幸い、当時のスイスでは日本人はまだ大変珍しい存在だったので、周囲の人たちは大変親切に多くのことを教えてくれた。おかげで、案外早く新しい環境に慣れ、本格的に修行をスタートすることができたと思う。
頭がパンクするほど考えた2年間の日々
肝心の修行の内容は何か? 簡単に言えば、経営委員会に対して設備投資プロジェクトの提案書を答申し、承認を得ることだった。つまり設備投資のプロジェクトマネジャー見習いである。製薬企業であるから、その案件は当然、医薬品生産工場の設備投資プロジェクトがほとんどであった。
昔からスイス人は大変な節約家で、無駄なことには一切お金を使わない、買ったものは大切にして、使えなくなるまで決して新しいものを買わない。「もったいない」の精神が生活の基本というわけだが、これが個人にとどまらないところがある。会社で数億円、数十億円を超える設備投資の可否を判断するうえでもそのまま生きていた。「損をしない」だけではなく、「儲かる」プロジェクトに磨き上げた提案以外は経営委員会から絶対に承認してもらえないのである。
●Next:インターネットもメールもない時代に筆者が経験して得たこと
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