先月号で、ネット依存による中毒現象が人の思考に与える影響について書いた。筆者にはもう1つ、インターネット時代になって時々感ずる脳の活動現象がある。今回は、そのこと─脳のマルチタスク─を書いてみたい。
マルチタスクはコンピュータ用語としてもよく使われている。1つのコンピュータで複数の処理を並行して行うことをいい、実際には複数の処理を短い時間に分割して同時に並行処理しているかのように見せる。これに対し1つの処理を1つのコンピュータで行うことをシングルタスクと言う。ここで取り上げる「脳のマルチタスク」は、これと同じように人間が複数の事を同時並行的に行うことを指す。
例えば自動車の運転。人は視覚情報を得ながらルートを考え(最近はカーナビに頼っているかも知れないが)、ハンドルやアクセルやブレーキを操作し、好きな音楽を聞きながらドライブすることができる。日常生活でも、かつて「ながら族」と言われた行動様式があり、音楽を聞きながら勉強したり、テレビを見ながら食事をしたり、というのもマルチタスクである。これがネット時代に入って一層顕著になっていて、人間に及ぼす影響が無視できないのではないかとの危惧があるのだ。
マルチタスクの個人差と限界
ベンチャー企業の経営者を見ていると、マルチタスクの人が多い。それを強いられる日常なのかも知れない。しかしマルチタスクができる人と、シングルタスクでなければ駄目な人がいるように、個人差があるようだ。マルチタスクがいいとは限らず、シングルタスクの人の方が考察が深く、思慮の範囲も広いような気がする。またわずかかも知れないが、“スーパーマルチタスカー”と呼ばれる人達が存在するとも言われている。10人の請願を聞き分けたと言われる聖徳太子は、その1人だったのかも知れない。
筆者はどうやらマルチタスク型らしく、テレビをつけたり、音楽を流しながらレポートを書いたりする。子供の頃から通信簿に「落ち着きがない」といつも書かれていたのは、好奇心旺盛なせいばかりではなく、そのせいではないかとも思う。現に、会場の内外からTwitterで感想や質問を受ける形式のパネルディスカッションに参加した時、パネリストとして話をしながらTwitterの推移を見て壇上から返信などをしていた。要点は聴いているので話を振られればいつでもコメントできる。その行動に「よくそんなことが出来るね」と言われたものだ。
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