一般社団法人コード・フォー・ジャパン(Code for Japan)が、地方自治体に企業のリーダー人材を派遣し、職員や市民とともに地域課題解決に取り組むコーポレートフェローシップ制度を2015年から本格始動する。それに先立ち、2015年1月7日より受け入れ先となる自治体の募集が始まった。市民コミュニティ、企業、行政・自治体の三者それぞれにとって「三方良し」を目指す制度。企業にとってはリーダー人材の育成やオープンイノベーションによる新規事業創出の機会として、一方で派遣される社員にとっては自身の能力開発やキャリア形成のきっかけとなりそうだ。
エース級の民間人材を自治体に派遣
SAPジャパンの奥野和弘氏(ソリューション&イノベーション統括本部 テクノロジーソリューション部 シニアソリューションプリンシパル)は、オープンデータの推進に注力する福井県鯖江市の市役所に、2014年10月半ばから11月末までの約1カ月半の間、市職員に混じって勤務した。一般社団法人コード・フォー・ジャパンが募集した「コーポレートフェロー」として、である(コーポレートフェローの制度の詳細は後述)。
鯖江市が今回、コーポレートフェローを活用した理由は、「オープンデータ戦略の策定」を進めるため。オープンデータ戦略で前例のない取り組みに挑戦し、一定の成果を出している鯖江市が、トップランナーとして走り続けるために何をすればよいかに悩んでいたことが背景にある。
奥野氏は、ITエンジニアとして、これまで16年ほどIT業界に身を置いていた。SAPジャパンに勤めたのは2010年4月からだ。SAPジャパンは、オープンデータの推進などで鯖江市を技術面などからサポートしてきた一社である。奥野氏をコーポレートフェローとして指名したのは、同社のバイスプレジデント/Chief Innovation Officerの馬場渉氏だった。奥野氏は関西の出身だが、鯖江市と直接つながりはない。ただ、これまで主に民間企業を顧客とする様々なプロジェクトを通じて「社内でトップ5%に入る実績を挙げてきた」(2014年10月11日開催のコード・フォー・ジャパン・サミットでの馬場氏の発言より)。
奥野氏は、鯖江市において課題を探し、1カ月半で成果を出せと言われて最初は戸惑ったという。「公共系や自治体案件の経験が特に豊富というわけでもなかったが、IT分野であれば、これまでの経験を基に何とかなるだろう、何でもかかってこい、という思いで挑んだ。結果的には、通常業務を離れて市の一職員として仕事をする中で、日頃得られない、大きな学びを得ることができた」と奥野氏は振り返る。
鯖江市でのチャレンジ
奥野氏が鯖江市で現状分析に着手したところ、大きく2つの課題が見えてきた。
1つめが、オープンデータへの市民参画をさらに進める必要性だ。鯖江市ではオープンデータを活用して市民主導で開発したアプリが数多く公開されている。バスの運行状況が一目で分かる「つつじバスモニタ」など実用性から人気の高いアプリも一部にあるが、大半は感度の高い市民が知るに留まっていた。7万人の市民に利便性を実感してもらうには対策が必要だった。
2つめが、少ない職員で効率的にデータを公開する体制である。「市民から情報公開請求があると、市役所内の情報公開課の職員が『このデータは公開できるかどうか』と、関係部署に確認するため、市役所の中を走り回っていた」(奥野氏)。同規模の自治体としては職員数の少ない鯖江市にとって、情報公開プロセスが煩雑なことがオープンデータ推進の足かせになることが懸念された。
こうした現状分析の結果に基づき、鯖江市が次に取り組むことが望ましい施策として、奥野氏は次の3つを提言した。
- 統一されたオープンデータ窓口サイトの設置
- データ公開の手引きの整備
- 市民による定期的なアイデアソンの実施
このうち、1番めと2番めの施策は、それぞれ提案書を作成した。データ公開の手引きについては、州知事命令に基づいてオープンデータで情報公開を進めるニューヨーク市のハンドブック(和訳)を盛り込んだ。ただ、いずれも実行に移すには業務プロセス分析やシステム調達が発生し、1カ月半で結果を出すのは難しいと判断。今後の施策と位置づけて、軸足を3番めの「市民による定期的なアイデアソンの実施」に据えて進めた。
早速この一環として、一般市民や市職員を集めたアイデアソン(地域課題を抽出するディスカッションの場)として、第一回「デザインシンキング in さばえ」を2014年11月に開催した。
「市民主導でアイデアソンを自主的に計画・実施できるようにすることが大きな目的。デザインシンキングやファシリテーション(司会進行)の雰囲気を体験してもらい、『これならば自分たちにも開催できる』と参加者が思えば大きな前進だった」(奥野氏)。当日は、市職員と市民が合わせて約30名が参加。このほか、ファシリテーションや準備にSAPジャパンから11名のボランティアが加わった。
ディスカッションのテーマは参加者の関心が高い「若者が住みたくなる、住み続けたくなるまち」づくり、「外国人観光客に感動を提供するまち」づくり、だった。ディスカッションの成果物は、ストーリーボードに文字で書き出すだけでなく、オリジナルのマンガに仕立てて、市民の関心を呼び込もうとした。一連の作業を通じて市民は日頃胸の内に埋もれている課題のイメージや解決の方向性を共有し、新たなつながりができたという。
「鯖江市は、市民と市役所の職員の距離が近いと感じる。そういう雰囲気があるから、うまく入っていくことができた」と奥野氏はいう。市役所内に市民協働課を設置し、地元のIT企業であるjig.jpの福野泰介氏をはじめ、内外の人材を積極的に巻き込んでいる土壌が背景にあった。
奥野氏が得た「学び」
「SAPジャパンに勤めてもうすぐ6年めになるが、この5年間で一番この仕事がきつかった」──奥野氏の率直な感想だ。通常業務を離れたので、売上などの数字に縛られる必要はないものの、普段とは違う仕事の仕方が求められたのだ。
製品ベンダーとして普段は、自社の製品・サービスを踏まえて顧客の課題を解決するソリューションを提案する。「しかし、今回はそもそも何が課題か、という白紙の状態からスタート。しかも期間は短い。いつもと違う視野を持って課題を設定しなければならなかった」(奥野氏)。
必要な協力者を得ながらリーダーシップを発揮する、という体験も奥野氏にとって新鮮だった。「通常業務であれば社内で『この案件は彼に、あの件は…』とまずは適任者を割り振る。そして業務命令を出せば、組織が動く。しかし、今回は勝手が違う。まずは、市役所、NPO、市民の方の理解と協力を得ることが先決。そうしなければやりたいヒアリングも実施できない」(奥野氏)。
一方で、自治体職員、という立場を生かして、日頃出向かないところへ足を運んだ。「ヒアリングの相手は、地元の道の駅で働くおばちゃんや、JK課(※女子高校生たちが新しいまちづくりを模索する実験的プロジェクト)の紹介による福井高専の学生たちだ。
「オープンデータに興味を持つと、どういうメリットがあるのかを語り合った。どういう言葉で語れば相手に伝わるのか、コミュニケーションの仕方そのものも考えさせられた」と奥野氏。外資系はともすればすぐに横文字を使いたがる。「けれどもそれでは一般市民の方には通じない。ニューヨーク市のオープンデータに関する資料を翻訳するときも、市民の方に分かるような訳し方を心がけた」。ポータルサイトも『窓口サイト』のように平易に置き替えた。
とはいえ、コーポレートフェローは期間限定の派遣形態なので、その地域にいつまでもいられない。「地域の人が課題に対して自主的に解決していけるように、現場に引き継ぐ作業が必要だった」(奥野氏)。前述したアイデアソン「デザインシンキング in さばえ」も継続に向けて準備が進められている。
普段の仕事がマンネリ化していないか考える機会にもなった。「長年仕事をしていると次第に『この手の課題には、この製品を軸にしたソリューションを』というようにパターンが作られていく。鯖江市に来て、一つひとつの課題をどうすれば越えられるか、と試行錯誤する中で、いつしか自分が狭い範囲で物事を考えるようになっていたことに気づいた。IT業界を見渡しても、しばしばベンダーは『魂のこもった仕事をする』と口にするが、本当にそういう仕事をしているだろうか。こうした学びを得られるのが、コーポレートフェロー制度だ」と奥野氏は言う。
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