日本でCIOという経営者の役割が意識されだしたのは21世紀を迎える頃からだろう。西暦2000年を前に、コンピュータが誤作動するのではと世界中で注目が集まった「2000年問題」では結果的にはほとんど何事もなかった。しかし少なくとも経営者もシステムを意識することに繋がり、CIOという役割の認識が芽生えてきたようだ。
CIOの社会的認知は進んだか?
日経情報ストラテジーという専門誌が、第三者の目でCIOを表彰する「CIOオブ・ザ・イヤー」を始めたのが2003年だった。筆者は思いもかけず初代のプライズをいただいた。受賞した側なので何が評価されたのか定かではないが、おそらく事業部門からシステム部門の統括になり、業務や制度のあり方、それにシステム部門の役割を、「改革」をゴールとして活動したことが評価されたと思う。
ITには改革をプロモートする力がある──実際に携わってみて肌身に感じたことである。今更解説することでもないが、CIOはChief Information Officer(最高情報責任者)であり、経営戦略を踏まえた情報投資のデザインや策定を行い、情報システムとして具現化して目的を達成する責任を担う。
ITを駆使することで、改革を進めたり革新的な仕組みを創ったりすることもできる。CIO=Chief Innovation Officer(最高革新責任者)と言い換えられる所以もそこにある。2012年には日本の政府CIOも任命された。言葉が登場して10数年、今やCIOの社会的認知は確固たるものになった、と言えるだろうか?
揶揄される「C・I・O」
残念ながら筆者にはそう思えない。中には、急速に進む企業のグローバル展開やそれに伴うアグレッシブなM&A(合併や買収による企業統合)を支える重要なミッションを着実に実践しているCIOもいる。新しいビジネスモデル推進したり、業界を跨いで違う企業に移籍し、活躍するCIOも登場するようになった。活躍するCIO、注目されるCIOは確実に増えているが、しかし、日本の企業数から見れば、まだ一握りに過ぎない。
逆に役割を果たせていないCIOを揶揄する言い方も増えている。Informationを読み替えて、InvisibleとかInterruptとか、挙げ句の果てにInchiki(インチキ)とまで言われる始末だ。役職処遇の名ばかりのCIOであったり、役割認識が薄いCIOであったり、経営の足を引っ張るCIOであったり、ITは苦手だと豪語するCIOであったりするケースがあるということだろう。
著名な大手企業の新任CIOに「社長が任命したから仕方なくやっている」と言って憚らない方がいた。その方がリーダーとなって始めたプロジェクトは見事に失敗し、その会社のシステム作りは2年間停滞した。そんな極端な例は少ないと思うが、これではChief Interrupt Officerと揶揄されても仕方ない。
そもそもCIOを任命していない会社もまだ多い。そのような会社には実質的な責任を担っているシステム部門長がいる。しかし経営トップとの距離が遠いなかで満足なコミュニケーションがとれず、苦労されている話はよく耳にする。CIOを重要な経営者ポジションとして位置づけ、揶揄されたりしない活動をしてもらいたいものだ。
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