[イベントレポート]
デジタル変革期の中で見えてきた、日本のデータセンター/クラウドの課題と勝機
2017年9月27日(水)狐塚 淳(クリエイターズギルド)
「自然外気冷却」「DC併設型太陽光発電」「IoT」「マシンラーニング/高火力コンピューティング」……2011年にフラッグシップとなる石狩データセンターの開設でクラウドシフトに舵を切ってから、業界に先駆けたチャレンジを加速させているさくらインターネット。クラウド&データセンターコンファレンス2016-17(主催:インプレス)のクロージング基調講演には、同社創業社長でこの業界きっての論客としても知られる田中邦裕氏が登壇。海外メガクラウド勢に対する差別化ポイントも含め、日本の事業者にとっての「課題」と「勝機」を詳らかにした。
ホスティング/データセンタービジネスの変遷
ITインフラの提供側と利用側双方にとっての課題を挙げ、今後を展望した「クラウド&データセンターコンファレンス2017 Summer」(オープニング基調講演、アフタヌーン基調講演)。クロージング基調講演に登壇したのは、さくらインターネット代表取締役社長で日本データセンター協会の副理事長も務める田中邦裕氏(写真1)だ。
冒頭、田中氏は、自社のホスティング/データセンター事業の変遷を、これまでビジネス環境の変化と向き合いながら培った経験を交えて紹介した(図1)。クラウドやGPUサーバーの提供など、大手先進データセンター事業者として新しいテクノロジーを積極的に採用したビジネスを展開しているさくらインターネットだが、2008年には新規事業の損失から債務超過に陥った経験もある。
「売上げの成長率が鈍化した時期があります。このとき経営危機でコスト削減を徹底し、売上げより利益追求に向かったためです。この間、退職者の分の人員補充を行わなかったため社員数も減少していました」と田中氏は当時を振り返った。この時期には既存のデータセンターのビジネスモデルで業務改善を目指したのだが、投資を抑制した結果として、クラウド、スマートフォンといったブームに乗り遅れたという。
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2008年前後は、国内で多数のデータセンターが新設され低廉化が進んでいた時期だが、上述のようにさくらインターネットは投資を抑制していたために販売可能なデータセンターラックが減少していた。そして、2010年代に入ると米AWS(Amazon Web Services)の本格進出もあって専用サーバー(ホスティングサービス)の販売がかげり始め、その後下降線をたどっていくこととなる。
「そのときに売り上げを支えたのがレンタルサーバーです」と田中氏。現在のさくらインターネットの売上比率の最大をクラウドサービス事業が占めるが、2011年3月期の時点で同事業にはほとんど売上げがなく、その前の年にはクラウドビジネス自体存在しなかった。田中氏によると、当時、立ち上げたばかりのクラウド事業を、独立した小さなチームで開発し、専用サーバーが縮小する中、2014年頃からVPS/クラウドが伸びていったという。一方のレンタルサーバーはこの時期、同社がM&Aや事業譲渡などで事業を拡張しトップシェアとなり、数社での寡占化が進んでいった。
当時の田中氏は、クラウドはどこも儲かり出していたので、この市場で私たちが成長する伸びしろがあるはずと考えたという。「アマゾンが日本で1000億円くらい売り上げていると聞いて、たぶん、さくらインターネットのような100億円くらいの規模の会社を本気で倒しには来ないだろうと。私たちも1000億売り上げる企業のことを気にしてもしかたがない。自分たちでできることをどんどんやっていくことにしたら、VPS/クラウドが市場で一定のシェアを獲得できるようになりました。現在も売上げのトップラインが伸び続けています」(田中氏)