現場、現物、現実の「三現主義」によるものづくり技術を基盤とするIHIは、環境・エネルギー・産業・社会基盤における諸問題を高度なエンジニアリング力で解決し、「地球と人類に豊かさと安全・安心を提供するグローバルな企業となる」ことをグループビジョンとして掲げている。その多岐にわたる事業をITでどのように支え、世界を相手にわたりあえる変革を成し遂げていくのか。コーポレート全体のIT戦略に携わり、現在は、エネルギー・プラントセクターの現場を統括する立場からIT企画推進を担っている保利裕実氏に聞いた。(聞き手◎川上潤司=IT Leaders 編集長 写真◎赤司 聡)
IHIは、総合重工業メーカーとして、橋梁、産業機械、エネルギー機器、航空宇宙など事業領域の広さもさることながら、手がけているビジネスの規模の大きにも驚きます。そういう企業のIT戦略が、どのような体制で推進されているのか、とても興味深いです。
組織的な取り組みからお話ししますと、まず本社部門の中に情報システム部があり、コーポレート全体のIT戦略を統括しています。
また、IHIには航空宇宙事業本部のほか、産業・ロジスティックスセクター、社会基盤セクター、海洋・鉄構セクター、回転機械セクター、車両過給機セクター、エネルギー・プラントセクター、原子力セクター、都市開発セクターという8つの独立した組織体があるのですが、各本部・セクターの中にもそれぞれの事業に直結したIT組織が設置されています。
つまり保利さんは現在、その中のエネルギー・プラントセクターでIT企画を担っているということですか。
そういうことです。
セクターが担っている事業規模からすると、ある程度の大きさの企業のIT戦略を統括しているのと同等ですよね。ところで、すっとIT畑を歩んでこられたのでしょうか。
ええ、IT畑一筋です。大学は経営工学科の出身なのですが、AI(人工知能)を卒業研究のテーマにしていた関係もあってIT関係の仕事に就きたいと考え、1984年にIHI(当時、石川島播磨重工業)に入社しました。
当時の風潮として、IT関係に就職するであれば、コンピュータメーカーを志望する人が多かったのではないですか?
もちろん、私もコンピュータメーカーを考えなかったわけではありません。ただ、あるコンピュータメーカーを見学させてもらった際に、ものすごい台数の端末が並んだソフトウェア開発現場を目の当たりにして、私がやりたい仕事とは少し違うかなと…。
それよりもユーザー側、それも大規模にコンピュータを使っている企業のほうが面白いのではないかと思い、IHIの門を叩いたのです。
そうして希望通りにIT部門へ配属となったのですね。
最初に配属されたのは、現在の本社部門の情報システム部にあたる情報システム本部 第三情報システム部 横浜センターという組織です。当時、情報システム本部には500人くらいのメンバーがいました。
総勢500人のIT部門とは、現在ではなかなか考えられないですね。
それも、かなり規模が縮小された末での500人なのです。日本が造船不況を迎える以前は、もっと大きな組織だったと聞かされました。
事業とITの距離を縮めることが
自らに課せられたミッション
メインフレーム時代から今日にいたるまで、この30年間でどんな業務を経験してこられたのでしょうか。
最初はCAD/CAM/CAEがメインで、プラント内の配管の設計情報管理を担当しました。例えば、原子力発電所のような大規模プラントの工事になると、IHIの担当エリアだけでも5000ライン以上の配管が必要となります。そうした配管1本1本の設計データを、データベース化して管理するのです。
その後、横浜センター内LANの構築などを担当し、本社に異動してからはIBMの大型メインフレームや富士通のスーパーコンピュータの運用管理に4~5年携わりました。そのほか、情報システム子会社のIHIエスキューブにも2度ほど出向しました。
そうした経緯を経て、2年ほど前にエネルギー・プラントセクターのIT企画推進部に異動してきたという次第です。
特に印象に残っているプロジェクトはありますか。
多々ありますが、あえて1つ挙げるとすれば、入金・代金回収システムの再構築プロジェクトかな…。1967年から30年以上使われてきたシステムを、1998年から2年半をかけて刷新しました。COBOLで構築された100万ステップ以上の巨大なシステムを、Oracle DBをベースとしたクライアント/サーバー型に移行するというもので、大変苦労しましたが、そのぶん達成感は大きかったです。
30年、ですか…。逆に言えば、そこまで長期に使い続けてきたシステムを作り直す理由はどこにあったのでしょうか。
おっしゃる通り、重厚長大企業で使われるシステムは息が長いものが多いのですが、さすがにビジネスの状況に合わなくなったのです。
具体的にはどんなところが?
売上や売掛金などを月次でしか処理できなかったのです。プラント建設のような大規模案件ではプログレス(進捗)単位で入金があるのですが、複雑な工程で起こった様々な事情によってキャッシュフローが変動した場合など、その数字が来月になるまでわからないというのでは、適切な対処ができません。コストやスケジュールに大きなインパクトを与える要因に対して素早く手を打つ必要があり、その意思決定のために必要な情報を揃えておく必要があります。
一言でいえば、ビジネスをスピードアップする必要があったのですね。
そうです。言い方を変えると、事業とITの距離をもっと縮めていかないといけません。
例えば、銀行などでは早くからシステムがなければ業務が成り立たなくなっており、ITは完全にコアになっていますよね。ところが製造業はそこまで至っておらず、当社においてもITを使って事業の課題を解決するという意識が低い面がありました。将来も見据え、そうした状況を変えていくことが、私のミッションなのだと思っています。
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